インタビュー:峰尾かおりさん(俳優)

*峰尾かおりという俳優は「肉体派」だと思っている。彼女の芝居を見ていると、時として長い手足で「覆いかぶさられる」ような感覚を覚えることがある。生々しくて息苦しくなったり、なまめかしくてゾクッとしたり。コミカルな役やもう少し「普通の」役もあるのだけれど、彼女の手足に絡めとられ彼女の湿度を感じる時、この人はやっぱり「肉体派」だと思うのだ。

 実はかおりさんとは時どきお茶をして映画やお芝居の感想を話す仲である。漫画コレクターの彼女からおススメを借りたり私が主催する会合に参加してもらったり…とまぁお世話になっているのだが、普段の彼女のふにゃっとした笑顔見ていると、鬼気迫る表情の…じっとりとした感じの…舞台での彼女が同じ人とは思えなくなる(俳優ってぇやつは…とんでもねぇな!)。――でも今の彼女があるのは、それだけの軌跡があったのだなと感じ入ったインタビューでした。ご一読ください。

柴山:お芝居を始めたきっかけや年齢を聞かせてください。

峰尾:子どもの時からごっこ遊びとか漫画とかアニメが好きで、国語の朗読とか得意だったんです。小学校の時にお友達が「声が可愛い」と言ってくれて、その気になって声優さんになりたいと思ったのが最初でした。それで、中学・高校と演劇部に入って。高校卒業して職業俳優になりたい、声優になりたいという思いがあって、大学の映画学科の演技コースを受けたら、受かったんです。進学しようとして上京して、1週間で全身性エリテマトーデスという病気にかかっているのがわかって。お医者さんにも、大きい病気だから、生活が不規則になり負荷もかかる学部はやめたほうがいい、地元に帰ったほうがいいよ、と言われて、大学はやめることにして福岡に戻って入院しました。しょうがないから受験し直して西南大に入ったんですけど、演劇部は無理だろうなと思って入らず、でも表現に関することがしたくて映画研究部に入って、自主製作映画とかは撮ってました。ほんのちょっとですけど。演劇部にいた砂川道子さんはたまたま同じクラスで友達になって。彼女とは今もずっと繋がってます。大学卒業後は病気のこともあったので就職はせず、公務員の臨職とかして繋いでいたんですけど、表現みたいなことはしたくて迷走はしてました。タレントスクールにちょっと行ってみたりして。そんな中「大耳レーベル」という場があることを知って。そこはいろんな人が集まって、主に即興のおどりと即興の演奏のセッションをしたり、あとは個々人で好きな表現をするんです。詩の朗読とか、弾き語りとか。そこで初めて舞踏というジャンルのものがあると知りました。ただ、そのときは何をやっているのかよくわからなくて、響かなかったんです。でも、1年ぐらい経ってもう一回いったら、何にもとらわれずにおどっている姿が、すごくきれいに見えたんです。私これやってみたいと思って。そこから大耳に通い始めて、当時青龍會の面々も大耳に出入りしていたので縁が始まって。「大耳レーベル」主宰の下松勝人さんはもともと「仮面工房」の主宰で演劇をされていた方で。「演劇工作室」っていうのを作ってお芝居するから一緒にやらないって声かけられたんです。それが演劇人生の始まりですね。

柴山:地元劇団に入ることは考えなかったんですか。

峰尾:それが…アンテナ張ってなかったんですよ。全然知らなくて。福岡の小劇場を。あ、でも大学時代、道子さんが「あなピグモ」の前身の「劇辛団子」に出演してて、ちょいちょいお手伝いはしました。あわよくば自分も出してもらいたいという下心があったんですけど全然だめで(笑)

柴山:では「大耳」に出会って、まずは舞踏に出会ったということですね。

峰尾:そうですね。

柴山:舞踏は身体と精神とを使うと思うんですが、病気になって身体を気にする状態でそれは問題なかったんですか?

峰尾:そもそもまた再び始めたいなと思い始めたのが、やってないと心の中に澱がたまってくる気がして、それが爆発しそうだと。大耳で見たおどりは、そういうものを使って、その人の持っているエネルギーを衝動に従って出しているように見えて。最初に見た時にそれがめちゃくちゃだと思って、次に見た時にそれが美しいと思ったんですよね。あと青龍會のおどりというのが「手足が動かなくなっても踊れるおどり」「自分の持っている条件でおどればいい」という考え方で、これだ、と思ったんです。

柴山:そのころ下松さんに「演劇工作室」に誘われた。舞踏にのめり込んでいく中でもやっぱりお芝居をやろうと思われたんですか。

演劇工作室『POSSESSION』1999年 小道具で参加

峰尾:お芝居がしたいって思いは、ずっと消えなくて。でも私、始めた頃って身体が全然動かなくって。手足を持て余してました。頭でっかちで声と体が繋がってなくて。演劇工作室では、週に一回集まって勉強会をして。野口体操をとりいれた基礎訓練では、力を抜く、身体の重さを利用した動きが中心で。青龍會でも、イメージから動きを産み出すような稽古があって、少しずつ全身でうごく、という意識が芽生えてきて。下松さん「下半身が大事」ってよくいってて。原田先生も「足の裏からエネルギーをめぐらせる」んだって。でも、なかなか上半身と下半身が繋がらなくて、おどる時とか、衝動に突き動かされて切れたみたいに「うわぁー」って動くことはできても、ちゃんとコントロールできない。そして、声と身体もなかなか結びつかなくて。どうしても上半身演技、口だけ台詞になっちゃう。心の殻があって、それを破けずに演技してるみたいな。

柴山:そう思いながら活動してたんですか。

峰尾:当時は手足は持て余してたけど、自分はできると思ってたかもしれないです。妙な自信。できるはずなのに、なんかおかしい、みたいな。どうも伝わってないっぽい。「いいね」って言われない。

柴山:こんなはずじゃないと。

峰尾:そうそう(笑)。演技の解像度が低かったってことだと思います。感情がこもってわーってなれればいい演技というか。そんなころに、ちょうど下松さんのところに出入りしていた山田(恵理香・空間再生事業 劇団GIGA)さんと出会い、2001年の『ダス・ガウクラーメールヒェン』に出演することになって。山田さんって良い感じで追い詰めてくれるんです。

柴山:山田さんの追い詰め方で変わった。

峰尾:山田さんは「解放」するために色々つついてくれた感じはありますね。自分が行き詰まった時にそれを説くヒントをくれる、という感じ。

柴山:いろんな角度から糸口を与えてくれる感じですか?

峰尾:状況を理解するためのエチュードとか。台本に書かれている前、この人は何をやっていた、とか。ちなみに当時私はちょっとめんどくさい人でもあって…拗ねたりいじけたり、まあ今もですが。当時はそれを全面的に表に出してて。でも面白がってくれてました、山田さんは。人間らしいって。

柴山:山田さん、大きな人ですね。

峰尾:そうですね。そういえば、大きかったのが2001年の結婚。結婚したことでお芝居がしやすくなったんですよ。お芝居の現場で出会ったので、夫は私が役者をすることにとても好意的で。やっているうちに親も応援してくれるようになって。今は出演する芝居全部観に来てくれて「あの演技はよかったけど、あれはちょっとねえ」なんて言ってます(笑)。

柴山:それまでは身体のことが心配だったから反対されていたんですね。体調はどうだったんですか?

峰尾:問題なかったですね。やった方がどんどん元気になっていきました。体力もつくし身体も動くし心の澱も。

柴山:2002年に北九州演劇祭にお出になりますね。

峰尾:オーディションを受けました。当時、北九州ってプロデュース公演とか色々されてて、ちょうど「ク・ナウカ」の宮城(聰)さんが演出されて『IRON』をやるっていうから。いけいけのやる気満々だったのでどんどん外に出ていきたくて。メインキャストではなかったんですけど演奏チームでした。

柴山:「銀粉胡蝶館」は。

峰尾:これは砂川道子さんと二人でユニットを立ち上げようって。2002年に『つくよみ』という芝居を創りました。ふたりとも民俗学とか日本文学とか興味があって、和風の、日本神話をモチーフにして。音楽、衣装、小道具、舞台美術も、素敵に創ってくださる方々にお願いして。世界観を立ち上げる楽しさがありました。けど、思ったように反応が返ってこなくて。集客もあまりできず、もっとやれる、いける!って思ってたらそうでもなかったという。いま思うと当たり前なんですけど。なんの実績もなく、一回でなにもかもうまいくはずないって。

銀粉胡蝶館『つくよみ』2002年

柴山:自主公演はこれが初めて?

峰尾:いえ、おどりの自主公演で2001年に『たまごの夢』という作品を上演しました。たかきさとこさんという、今バリに住んでるとても素敵な踊り手さんがいて、「一緒にやろう」と声をかけたんです。彼女はすごく基礎があって、めちゃくちゃ動きが素敵で、私は基礎がなくて思うがまま動いているだけで。そういう意味では実力が天と地だったんです。でもよくわかってなかったからポンと飛び込んで声かけて。舞台装置も美術家さんにお願いして、音もオリジナルで創ってもらって。結果、好評で、手応えのある公演になって。アンケートに「実力差明白」って書かれたりもしたけど(笑)

柴山:なるほど。ではその勢いと若さゆえの自信があるまま『つくよみ』をやったら、「あれ、思ったのと違うな」と思われたんですね。

峰尾:そうですね、私が勝手に拗ねちゃって、芝居を0から立ち上げる、を続けられなかった。でもしばらくは「銀色胡蝶館」でちょこちょこやったんですよ、道子さんが朗読して私がおどる、みたいなスタイルでライブハウスに出るとか。

<影響を与えた2つの作品>

峰尾:私にとって大きかったのはこれ(『ものぐるひぐさみ』2004年)。ペーター・ゲスナーの演出を受けたんですけど、それこそ…私、演劇始めたばっかりでお芝居のこと全然わかってなかったんですよね。自分のお芝居を稽古の時に全否定されて。あの図体であの人相で、「違~ウ! ナニ馬鹿ナ演劇シテルカ!」って言われて。「馬鹿ナ演劇」ってめちゃくちゃ言われて(笑)。

柴山:それは何を駄目だと言われたんですか。

峰尾:そうですね…セリフに書いてあることをやろうとしちゃう、みたいな。セリフに縛られてしまうとか、状況を立ち上げられなかったんですよね。

柴山:その時、理解はできたんですか?

峰尾:できなかったです。何が悪いって言われてるのか…怒鳴られるし思考停止にもなっちゃうし。

柴山:ペーターが選んだオーディションですよね?

峰尾:そうです。オーディションの時は、たぶん私、状況を立ち上げてたんですよ。場面をやったんですけどその登場人物のその場面の状況に自分がいるということに集中できて。私そこのバランスが悪い俳優で、部分的にはできるけど、自分があまりイメージできないことに対してポンコツというか…。文字面だけを表面的に追っちゃうところがあって。初日が終わった時にも、楽屋ですごい形相で「カオリ! 今日ノ失敗ハ全部君ノ責任ダ!」って言われて…初めて私、血の気が引いてヘタヘタとなる体験をしましたね。自分的には集中していたつもりだったんですよ、でも「一人ぼっちになってた」と言われて、相手のことをちゃんとみてないって。「最初はわるくなかったんだ」って、後からフォローはしてましたけど。

柴山:翌日の公演に響きませんでした?

峰尾:何とかやりましたけど…わからないままにやっちゃったという感じです。…つらかったです(笑)。稽古中にロッカー殴りました、泣きながら。「何をさせたいのか分からない!」って怒鳴ったり(笑)。そういう風に言えちゃうエネルギーが買われていたのかもしれません。私が続けていく上でペーターの言葉はめちゃくちゃ参考になってるんですよ。言われたことの意味は続けていくうちにだんだんわかるようになってきた。感謝しているとはあまり言いたくはないですけど(笑)、ありがたくはありますね。

柴山:それでも芝居が嫌になったわけではないんですね。

峰尾:そうですね…良い芝居がしたい、もっともっと…という欲が自分の中にあるから、やめようとは思いませんでした。せっかく選んでくれたのに申し訳なかったなと思いますけどね。

柴山:その後、大きく変わったとおっしゃったのが『エレベーターの鍵』(2005年)ですね。

『エレベーターの鍵』2005年

峰尾:山田さんと1対1の稽古で付きっ切りでやってもらえるし、同じセリフで状況を変えて言ってみる稽古をたくさんしたり。印象に残ってるのが、本番1週間くらい前の通し稽古で「一つ、殻を破ったよ、あなたは」と言ってくれたんですよ。「自分はこういう瞬間に立ち会うのが好きだから演出をやっている。本番でも稽古でも関係ない。この瞬間が好き」…だったかな、山田さんのインタビューでも『産婆的体験』と言ってましたけどそれがあったんだと思います。私には何が違ったかその時は分からなかったんです。いつも通りにやったつもりでした。でもやっぱりその…一つ山があって、たぶんそこで越えられたのかなと思います。

柴山:お稽古自体は大変ではなかったんですか。

峰尾:楽しかったです。もちろんできないという悩みもあったけど、やっぱり楽しかったんです。

柴山:それで自信もついた?

峰尾:そうですね、山田さんにそういう風に言ってもらったことは自信になりましたね。

柴山:お客さんの反応は?

峰尾:おおむね好評で。地下のバーでやって、ディナーセットを出すとか工夫もして。チラシや宣伝用の写真撮影は動植物園に行ったんですよ。みんなで創ったなぁ…って。曲はオリジナルで、ギターもパーカッションも生演奏。やってよかったです。

一人芝居『エレベーターの鍵』2005年

<広がり>

峰尾:「小耳プロジェクト」の『あなたはねむくなれ』(2006年)の演技を見て、「藍色りすと」の太田美穂さんが声をかけてくれたんですよね。教祖様の役なんですけど、過去に虐待を受けていて…それをバーッと吐露するんですけど、それは精神病院の治療の一環でごっこ遊びだったというオチがあって、「わー」ッとなった後にケロッと。その切り替わりがよかったと。で、「藍色りすと」の『デコラブ。』(2006年)に出ました。そのあたりで、私も劇団に所属した方がいいのかなと思いはじめて。山口ミチロウさんにさそわれて、「劇団マニアック先生シアター」の旗揚げメンバーになりました。山口さんは「仮面工房」の元劇団員で、仮面時代に浩志さん(出田浩志さん、峰尾さんのパートナー)と照明家同士でつながりが深くて。で、劇団を作るから一緒にやらないかと。でも所属しても、私やっぱりふらふらしちゃうんですよ(笑)。客演に呼ばれたら行くし。劇団として求める芝居の方向性とは、違う方にも向きたくなっちゃう。やっぱり所属って性に合わないんだなと思って、2011年に退団します。

柴山:所属しているときにも、他の団体に出演されてたんですね。

峰尾:「藍色りすと」に出たことで、人間関係が広がりました。萩原あやさん(劇団HallBrothers)、今村映子さん(hen house)とも、藍色で出会いました。

柴山:それで後にそのお二方の劇団・ユニットに出演されてますもんね。「藍色りすと」は女性だけの劇団でしたよね。…その他「アントンクルー」にも。「座”K2T3」も。

峰尾:それと公演ではないんですけど、ギリシャ喜劇の『女の平和』(2010年 演劇大学in Fukuoka)。これは演出家のためのワークショップで役者を募集してたんですよね。木村佳南子さんが羊屋白玉さんから指導を受けて演出して。で、すごい台詞量のテキストを、短期間で覚えてやってほしいと。実際一言一句は無理だったけど覚えてやったんですよ。めちゃくちゃ頑張りました。最近になって、それで佳南子さんが私のことを信頼してくれたと知りました(笑)。

柴山:それで日韓演劇フェスティバルでも木村さんの演出の作品にお出になったんですね(『0.917(イ・ヒョナ)』2012年)。

峰尾:『夜中のチョコレート』(2012年、劇団ぎゃ。)に出演して、そして劇団HallBrothers『ちょうどいいサイズ』(2012年)に出て。ここから劇団HallBrothersに続けて出るようになりました。

柴山:どんどんお出になってますけど、体調は問題なかったんですか?

峰尾:ちょいちょいあるんですが、1回2回入院したぐらいで…一番大きかったのが、『楽屋』(2013年)のころです。青年センターで私が演出したんですよ。清水邦夫の。この最中に体調崩して、入院しながら稽古してました。

柴山:初演出ですよね? やってみたかったんですか?

峰尾:「劇団ノコリジルモ」で若い方々と出会って、私がペーターから言われたようなことや山田さんから得た演技に対するやり方を伝えたら、彼女たちの素敵な部分を引き出せるんじゃないかなって。おこがましいですけど。あと、『楽屋』はずっとやりたかったんですよね。立石(義江)さんと杉山(英美)さん、道子さんに声かけて。道子さんもあまり芝居をしてなかったのでもったいないと思って。青年シアターの実験シアターで、「役者である私が演出します」っていうのを実験テーマにして。その時に入院しなきゃという事態になって外出許可もらって病院から出て演出して病室帰るとか、病室でフィードバックを吹き込んで、みんなで聞いてもらって、とか。そんなことをしてましたね。執念ですね。でも、私、意外と演出って好きなのかもと思いました。

柴山:役者をやっていたことが役に立った?

峰尾:そうですね、舞踏の稽古…青龍會の稽古って、毎回15分自分で好きな曲とか持ってきて、衣装や構成も工夫して即興でおどるんです。それが意外と演出の訓練になってたんだなと。自分で演出しながら出る、みたいなもの。その時そう思いましたね。

柴山:出演者の反応はどうだったんですか、初の演出に対して。

峰尾:この時、私、体調崩して切羽詰まってるというか。だからみんな同情的というか。協力的というか優しいというか(笑)。役者さんはどう思ったんですかね。(出演した野中)双葉ちゃんは「こんなに無償で自分が得たことを伝えてくれるんだと思った」と言ってくれたかなぁ。

柴山:持てるものは全て教えてあげようとしてたんですね。さてこの頃から「バカダミアン」に出始めますね。

峰尾:『怒りのサブ・ジェネラル』(2010年)が初ですね。ずっと重松(輝紀)さんを知ってはいたんですけど初めて声をかけてもらって。大渕雄一朗さんとのダブルキャストでやってくれと言われて、どういうこと?!って。天下の副将軍・水戸黄門が主人公で、徳川家康が神、仙人みたいになって出てくる、その家康役で。

柴山:性別を超えて人を超えて、ですね。

峰尾:そうそう(笑)。演劇って面白いなと思いました。この私が徳川家康(笑)

<海外公演の経験>

柴山:ボルドー公演もされてますね。2017年。

峰尾:ボルドーは大きな印象が残っています。ボルドーに、原田先生と親交のあるガルロさんという作曲家、演奏家がいらして。ガルロさんの曲を使った「ほころぶ」という女性3人の群舞の作品があって。原田先生がソロでおどるのは当然として、その作品をやることになって、一緒にボルドーに行ったんですよね。

柴山:公演はどちらで?

峰尾:ボルドーのホール「Le Lieu Sans Nom」で上演しました。ぽんプラザより幅も奥行きもすこし広いくらいのステージで、客席は60席ほど、お客さんは満杯な感じで。3人で三位一体になりながらおどるというものだったので、誰の手か誰の足かわからないみたいな状態になって。で、最後は三人がほどけて、ひらいていくという構成で。それがお客さんの反応がすごく良くて。あ、伝わるんだ、と。いのちの希望、みたいなもの。それを、おどりて観客みなで共有したような。あれは至福の時でしたね。

『ほころぶ』2017年 撮影:鶴留一彦

柴山:公演数は?

峰尾:1回です。

柴山:あれ、2006年にパリにも行ってますよね?

峰尾:この時は、めちゃくちゃ苦い思いをしました。全く相手にされてないことが分かったんですよ。

柴山:お客さんにということですか?

峰尾:はい。何人かで行って、確か群舞とソロだったかな?打ち上げ的なパーティで、自分、ポツンとした感じになって。「私、相手にされてないな…」って。何も出せてないのか、自分はと。

柴山:それまで日本で、観客に受け入れられてないという感覚を覚えたことはあるんですか。

峰尾:あります。2000年の『舞踏の新しい風』(青龍會)。出演者8人くらいで、それぞれソロを踊ったんですが、お客さんも含めて打ち上げしてた時に、一人一人どうだったか言おうと。みんな、「どこどこがよかった」って進んでいったのに、私の番になったら「シーン」。ショック…(笑)。

柴山:初期にそんな思いをしたんだったら怖くなかったですか。

峰尾:まぁそうですね、自分はやれてないんだという思いがずーーーーっとあって。それでも自分がやりたいと思うんだからやるしかないよなと思ってやり続けてるところがあるんですけど。

柴山:だとしたら2017年にボルドー公演で「伝わってる!」と思った時は望外の喜び…というか。

峰尾:すーごく嬉しかったですね。3人だからできたことなんですけどね。幸せな瞬間というのがあるとしたら、あれは確実に。

 それから、『ベルナルダ・アルバの家』(2018年、劇団GIGA)で釜山公演してます。私今まで青龍會で海外公演は行ってるけど自分で出してたので、すごく感慨深かったです。「旅費と宿泊費出してもらえるんだ…」って(笑)

柴山:お芝居では初めての海外公演ですよね、どうでしたか?

峰尾:GIGAの特性でもあるんでしょうけど、言葉が違っても通じるんだな、っていう。その実感があって。やっぱり山田さんの演出…発想力というか構成力がすごいなって。

<自身の代表作>

柴山:さきほど舞踏で感じた「幸せな瞬間」のお話をされました。演劇ではそういう幸せな瞬間は? 

峰尾:あ~…そうですね…ちょいちょいありはするんですけど…2つにしぼるなら『さよなら、サンカク』(2019年、ヒカリノオト)、『毛皮のマリ―』1人リーディング(2018年、日本の戯曲研究セミナーin福岡vol.1寺山修司を読む!)です。『毛皮のマリー』は、聖也くん(石田聖也・演劇ユニットそめごころ)の演出が大きかったです。私の人生の聞き取りから始まり、私自身と戯曲がリンクするように演出がついて。「1人で読む」のは必然だったんだなと。セミナー最終日、他の企画の発表もいくつかある中のひとつの公演で、セミナーの参加者以外は、ほぼ人に見られてないんですけど。

一人リーディング『毛皮のマリ―』 リハーサル風景

柴山:では何を感じて「これは」と思ったんですか。お客さんに伝わったと言ってもお客さんは少ないわけで…。

峰尾:あ…でも企画の参加者の方々とか、「よかったよ!」って言ってくれて。はっきりした手応えがありました。

柴山:『さよなら、サンカク』の時はお母さん役ですよね。息子が監禁しているのに見て見ぬ振りし続ける…。

峰尾:たぶんこの役は、今まで自分が演じた中でも一番駄目な役だったんですよね。犯罪をやっている駄目じゃなくて、まぁあの見て見ぬふりは犯罪級ですけど(笑)、わかってるのに…でも息子に対する愛、間違い方とか、みんな非難するけどあなたの中にもあるよねみたいな、私の中にも確実にある。それを出せる役だった。

柴山:ということは、この役との出会いが、この作品を挙げる理由ですか。

峰尾:そう…ですね。この孤独を知ってる、この諦めを私は知ってる。自分がしっている暗い部分が演れる。そういう機会が欲しいんですよね、でもあんまりなくって。数少ないそういう役だった。

 今2つ挙げましたけどその他にも共演者と「その時会話したな」と実感があるような瞬間って印象に残ってるから…。その瞬間って幸せで。

柴山:それこそがペーターが言っていたことでは…

峰尾:そうかもしれません。

ヒカリノオト『さよなら、サンカク』2019年

<新しい試み「0の地点」>

柴山:2022年には「0の地点」を立ち上げられましたね。

峰尾:『イエルマ』(2019年劇団GIGA)で会った宗(真樹子)さんと、普通に気が合って、年も近いし。茶飲み友達だったんですけど、「大人ならではの演劇したいよね」って。楽しくやれました。誰も無理しないで…と言いつつ無理はするんですけどね、特に聖也くんには負担かけちゃったかもしれない。やることいっぱいあったから。

ただ、4月の『女優ごっこ展』の後、8月に腸に穴が開きました。

柴山:肉体を酷使したから…?

峰尾:いえ、元々の病気のせいなのか、薬の副作用なのか、どちらかだと思います。病院の先生にもわからなくて。それで人工肛門になりました。予想もしない出来事で。「魂の女優ごっこ展」やっててよかったなと。生前葬をモチーフに、自分たちの来し方をふりかえって、そして未来への決意表明やって。「お芝居、表現って、個人的なモノでいいのかも、どんな状態でもできるんじゃないか」って自分で言ってて。それに支えられてました。構成してくれた聖也くんのおかげですね(笑)。いまは、人工肛門にも慣れて、表現活動にもほとんど影響ありません。

「0の地点」では2025年に『西のまるい魔女』に挑戦しています。自分たちの手の届く範囲だけではなく、キビるフェスで、池田(美樹、劇団きらら)さんに作演出してもらって、もう一人役者をお願いして。良い体験になりました。

柴山:最近の『マイムモモ』(2026年)もそうですが、かおりさんの出演作ってどれも肉体…が印象に残っています。GIGAの印象も強いです。そこはずっと舞踏を続けているのも大きいのかなと思います。

峰尾:そうですね、身体から発するものを重視してるかな。舞踏の稽古に行けてない時期もあったんですが、特に体調を崩したとき、稽古に行きたくなったりします。自分の条件でおどる、自分の肉体と向き合うという作業をしたくなって。おどり方も、変わってきてて、あんまり動かなくなりました。2023年に念願の『prima materia』に出演したときは、宮沢賢治の「春と修羅」をモチーフに、あまり動かず、そこに存在し続ける、に挑戦しました。

prima materia『春と修羅』2023年 撮影:椎葉ゆか

 実は私最近、また迷いの道に入ってて。さっき、舞台上でちゃんと会話できたときが残ってるって言ったけど、ほんとは出来てないんじゃないかと…。広島のアステルプラザでのオーディションやワークショップを受けに行ってるんですけど、オーディションはことごとく落ちて。声が相手に刺せてない、会話出来てない、影響し合えてない…演技ってものを全然わかってないのかもって…ちょっと今悩みの中にいますね…。これを解消するにはどうしたらいいのか、どこかに修行に行かなきゃいけないかと…(笑)。

 でも『わすれゆき』(2026年、Bloody Expressors)に出て、さっき言った事と真逆になるんですけど、長年やって来た積み重ねってあるんだなって思いました。例えば和風の衣装に肌襦袢を提供したんですよ。物を持っていること自体も、積み重ねだなと。あと急遽の途中参加だったんですが、短期間でもパッと行ってなじめたのは、今までやってきた中で出会った方たちがほとんどだったから。みんなが受け入れてくれて、スムーズに参加できました。これはこれで自分が培ってきたことだなぁと、いつのまにかベテランになってるんだなぁって。

柴山:そうですね、今までの蓄積ですね。悩みは…きっと一生悩むし。

峰尾:そうですね(笑)。ずーっと言い続けてる気がする。「私、会話ができてない気がする」って(笑)。演出家がいいと思うことを探しちゃうとか、怒られたくなくて言う事きいちゃうとか、そういう時受け身になっていて、自分から状況を提出する、じゃなくて、演出家の様子伺いで演ずるみたいになっちゃう。私それをオーディションでやっちゃう。それが今の私の実力。だから落ちることに対しては納得してるんですよ。でも悔しい。

柴山:大丈夫です、魅力的な女優さんだからみなさんが声をかけるわけだし。無理をせず続けてほしいと思います。

峰尾:ありがとうございます。

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