インタビュー:劇団PA! ZOO!!

*この人たちの、力の抜け具合がいい。だいたい肩に力が入ったコメディなんて見ているだけで疲れてしまう。かといって「力が入ってませんよ」風を装った芝居もまた好きじゃない(笑)。そんなメンドクサイ私だが、劇団PA! ZOO!!の芝居を見ていると、彼女たちの普段の関係が見えてくるような「いい塩梅」の瞬間が何度も訪れて、その力の抜け具合がたまらなく好きだ。…「結局、劇団員はみんな『PA! ZOO!!バカ』なんですよ」、インタビューで最後にそんな言葉を聞いて、あぁだからなのかと腑に落ちた。そしてガンガン追突されるような笑いの一方でじんわり暖かくなる芝居をやれるのも、その関係だからだろうなと思う。――しかし! この劇団の真骨頂は「意外性」にあると、今回学びましたよ。「え、PA! ZOO!!って、実は…!」 はい、知りたい人は読んでください。

左より りゅうさん、ともつさん、山内さん、ぎゃおさん、前面に渡辺さん

柴山:劇団を結成するに至った理由などを教えてください。

ぎゃお:1991年まで福岡にあった「漫画演劇集団O S C A R’S」というところで私と山内が出会いまして、私がそこをやめて劇団を作ろうと山内を巻き込んだ形です。

山内:仲間募集という形で雑誌に載せたり公演されているところに「仲間募集」のチラシを入れたり。

ぎゃお:旗揚げの時に13名いたんですね。(現劇団員のともつは)その時には手伝いだったんです。この人も前のオスカーの時の劇団員。。この人(現劇団員の渡辺一心)は「手練れの役者はいないか」と言ったところ高校演劇をやっていたさなかに 劇団員の英愁あこが引き入れたんです。

山内:高校生が二人いたんです。英愁あこ

柴山:漫画演劇集団オスカーについてまず知りたいのですが…

一同:(笑)

ぎゃお:ですよねぇ! 私が中村女子高校の演劇部(出身)なんです。その9個上の先輩たちが社会人になって作った漫画を芝居にするという劇団で。

山内:今で言うところの2.5次元。

ぎゃお:女子高上がりの先輩なんで全員女性で、男役もやる感じで。私は高3の時に客演したのがきっかけで、大学入っても男性の役者さんが出られなくなったから来いと言われて爺ちゃん役とかやってる間にぬるっと入り。私最初の舞台が『トーマの心臓』(萩尾望都)。で、『ファラオの墓』(竹宮恵子)『11人いる!』(萩尾望都)…あとあれだよ、『摩利と新吾』(木原敏江)は舞監をさせられましたもん、オーディションに落ちて。

山内:それと、『竜の眠る星』(清水玲子)。(現劇団員のりゅうは)出てたよね。

ぎゃお:前の劇団で たくさん知り合って、あと、そこでいいことも悪いことも教わって(笑)。でも漫画を知らないので私の中で「ずっとはやれないな」というのがあって。私は東京に(役者で)出たかったのですが、母に反対されまくり「そんなにしたいなら、劇団作ったらいいじゃない!!」「じゃぁ作ったる!」って。

柴山:お母さんきっかけ?

ぎゃお:若干そうです。その時に、オスカーの私の1つ上の演劇部の先輩から「一緒にやろう」と言われてたんです。劇団にはもう一人いるなと山内に声をかけ、立ち上げの前にその先輩が抜けちゃって。で、大学4年の卒業前に山内と学校で仲間募集のチラシを作ってガリ版で刷って。キャビンホールにまいたりして。

柴山:オスカーでやろうとは思わなかったんですね?

山内:マンガで絞られてるところがあるから…

ぎゃお:先はないなと思って。

柴山:お客さんは入っていたんですか?

2人:入ってましたね~。

ぎゃお:劇団のファンクラブがあったくらい。カーテンコールの時にファンクラブの方が花束とかプレゼントを渡す時間があって。ずっと待ってなきゃいけないんですよ…

柴山:さてお母様との売り言葉に買い言葉で劇団を作ることになったわけですが、どんな劇団を作るつもりだったんですか?

ぎゃお:最初っから面白くて楽しいもので、娯楽であることだけは変わらず。

柴山:コメディをしようと思っていた?

ぎゃお:そうですね、基本路線としてコメディは外せない。ただ旗揚げ当初の風潮が笑いだけだと受けなかったんです。ちょっと重いテーマとかも入れてやってたんですけど、10年目ぐらいに振り切りました。

柴山:最初は13人ほど集まって、全員女性? 女性だけを募集したんですか?

山内:男性もいました。最初の5年ぐらいまでは男性が入ったり出たりしてましたが、お仕事が忙しくなってやめるという方が多かったですね。

柴山:みなさん社会人として仕事をしながらお芝居をするという形だったんですね。ぎゃおさんは女優さんになりたかったんだと思うんですが、プロ劇団をめざそうとは思わなかった?

ぎゃお:自分が旗を振るんだったら、自分がしたいようにする劇団にしたいというわがままがあったので、誰にも文句を言わせないアマチュア中のプロになろうと。

柴山:山内さんが代表になられた理由は?

ぎゃお:前の劇団が代表と演出が同じ人だったんです。それが様々な問題を生むという解釈をしていたので、その二つを分けて演出が作品を守って、彼女に代表として劇団員を守ってほしいとお願いをして、そこに制作を大学の時の友達に入ってもらって。3本柱にしないと仕事しながらは無理だろうと。作品の責任は全部私が負うから、劇団の責任はまりさん負ってね、公演は制作の人を動かしながら3人でやりましょうと、割と最初から。

柴山:すごいですね、多くの劇団は走り出してから気がついて形作っていくんですけど最初からうまく計画的に回していたんですね。

ぎゃお:山内も本当に何もできなかったんですよ。オスカーの時に役者しかしてなかったし大道具で釘一本打てなかったし。私は正社員で経済的な面と作品をやるから、代表は裏方勉強してこない?って言って、市民ホールサービスのバイトに行ってもらって。「私行くわ」って言ってくれて。

山内:7~8年。

ぎゃお:そこで道具と照明と音と、あらゆること現場的な物を、ホールサービスの方に道具の作り方であるとか搬入搬出のためにノウハウとかアドバイスをいただいて。私がオスカーの時に舞監をしていたので仲良くしてくださる方がちらほらいらっしゃったので、当時、旗揚げした劇団の中では割と手堅く自分たちだけでやれてたんじゃないかなと思います。

柴山:その時は渡辺さんは高校生? お手伝いはなかなかできないですよね。

渡辺:8時ぐらいまで稽古させてもらってお家に帰ってました。

柴山:失礼ながら思った以上に(笑)最初から体制を整えていらっしゃったんですね。旗揚げ公演からぎゃおさんが書かれた?

ぎゃお:はい。原案は山内ですけど。この人は原案は出すんですけどは書かないので。私は私でちゃんと書いた作品は旗揚げが初めて。今もそんな感じで、みんなが原案を出してそれを私がにする。

山内:古い劇団さんたちは、大学からとか高校からとかそういう流れでやっていらっしゃる方が多いんですけどうちは全く違ったから、役者はそろったけど外回りは伝手もなければ知識もないし、外堀を埋めるというのをしながら。あと大道具も、今は大道具を作る「兄弟船」さんとかありますけど頼めるところもなかったので、とにかく勉強しては、この人(ぎゃお)が言う「好きな作品」に持って行くのに四苦八苦してました。

柴山:91年が旗揚げということは「座”K2T3」と一緒ですよね? 「風三等星」が少し先…?

ぎゃお:そうです、劇団員がちらほらいた感じなので一緒に見に行ったりしてました。

柴山:横のつながりはあまりなく? 高校演劇のつながりはあったんでしょうけど。

山内:彼女(りゅう)がうちの劇団に入る前は久留米の劇団で活動していて、だからどちらかというと久留米の劇団の方に教わることが。

りゅう:「鍋風呂」っていう劇団です。なべさんっていう方が作った劇団で。劇団鍋風呂。私が高校の頃に中村さんが代替わりしたぐらいだから(古い劇団)。今でも「鍋風呂」という名前はあります。

山内:そこで培った技術などを劇団旗揚げする前にお手伝いに行きたくさん教えていただき。

ぎゃお:たぶん、同世代の劇団は仲間でやれたんでしょうけど、私たちはどちらかというとオスカーのつながりがあったので。「有限会社」という劇団があったんです、女学院の木道萌さんという方が主宰されていた劇団と前の劇団が仲よくて、二人が旗揚げの前に客演したんです。劇団を卒業した最初の二人の作品はそこの劇団の舞台。「怒幻鳥栖っ都」さんとか「鍋風呂」さんとか、その時のつながりの方々にお声がけいただくことが多くて。

山内:福岡市内には繋がりがなく。

柴山:孤高の存在だったわけですね。旗揚げの作品は?

ぎゃお:『インプレッション』。

柴山:これもシチュエーションコメディ?

山内:ではなく、ちょっとだけ近未来のお話で、今で言うところのVRの中に入り込んでしまった学生…

ぎゃお:闇落ちした学生の話なんです。ストーリーはシリアスなんですけど、展開をものすごいコメディにして。主人公の闇落ちする人を山内がやって、助けに行く男を私がやって、暗躍する悪役を(渡辺さんを指す)。その時からコメディセンスでものすごく爽やかに悪役をやってくれたんで、旗揚げにしてはけっこう…400ちょい来ていただいて。アミカスで。

柴山:さきほど「娯楽であることを外したくない」とおっしゃいましたが、最初から掲げてたんですね? 最初からチラシに打ち出していたんですか?

ぎゃお:はい、「面白楽しい」という言葉は旗揚げからずっと使ってます。

柴山:お客さんの反応はいかがでしたか?

ぎゃお:イスから落ちるように笑う人とかいたので…よかったんじゃないかなと。男の子受けが良かった。男の子役をしたんですけど、高校演劇の男の子からえらく声をかけられたのを覚えています。「笑わせてもらえる劇団」と定着するスタートにはなった気がします。

柴山:1本目からそれってすごいですね。

ぎゃお:それしかできなかったんです。

柴山:思っていたよりも策士…(笑)。

一同:爆笑

山内:いや、そう見えない方がいいですから(笑)。

柴山:その時はお二人(ともつ・りゅう)はまだ劇団員ではなかったんですね?

ぎゃお:ともつは音効をしてました。最初の5~6年はちゃんと「演劇、演劇」した演出もかけてたんで、ほんとに可哀そうな目にあわせて。(作中のBGMがものすごい量、ものすごいワガママ演出で・・・)

柴山:では音や明かりのプランも立てて?

ぎゃお:ここでもオスカーの音効やってた、果てはNHKの音声さんになった方が、本当にタダでここまで教えてくれるのかということを教えてくださって。

山内:本当に周りに助けられて。

柴山:スパンはどのくらいで?

山内:半年? 年に2回ぐらい。

ぎゃお:その次は古城十忍さんの『赤のソリスト』をやって。それはキャビン(ホール)。

柴山:既成戯曲もされていたんですね。

ぎゃお;既成戯曲は、それと北村想の『BUDORI~眠れぬ夏の月』。この作品はあまり知られてないんです。『想稿・銀河鉄道の夜』の本の後半に入っている作品なんですけど。その2本が(既成)。

柴山:基本的には自分たちで作ろうと思っていたということでしょうか?

ぎゃお:、私が、量産できる…書ける脚本家ではなかったので。ちゃんと書こうと思ったら時間がかかるのと、演出をする方に面白味が出ていたので、既成はその2作なんですけどあと3作品ほど身内のこの人(りゅう)や前の劇団の人が書いた作品とかも含めて、最初の5,6年はそういうものを。

柴山:そういった既成戯曲はコメディではない?

ぎゃお;コメディではない。それをコメディにしつらえ上げるっていう(笑)。

柴山:北村想も?

ぎゃお:結果なっちゃう。

山内:コメディというよりも演出的に笑い処を作る…

ぎゃお:物語は辛辣だったりするんですけど、客の気のひき方がコメディ。

柴山:客演は?

ぎゃお:初期の頃は…山内が県民創作劇、(クレイジーボ-イズの)こすぎさん演出の『ハムレット』。あと、大野城で(轍の)日下部さんが演出された作品や「銀色のくじら」とか出てましたね。渡辺も「風三等星」とか「K2」に出させていただき、ここ10年ぐらい私が色々お声かけいただきだして。

山内:初期は劇団を通して話が来てましたが、今はそれぞれに直接オファーいただいてて。りゅうは久留米とか鳥栖の劇団に。あと、あれはなんだっけ大谷

りゅう:九州大谷短期大学とご縁を繋いでいただき、ミュージカル『親鸞』とかに出させてもらって。

柴山:当初はよくやる劇場は?

ぎゃお:キャビンと、シアターポケットと、ビールームの大道具室、NTT夢天神、早良市民センターは『銀河鉄道の夜』。

柴山:『銀河鉄道の夜』って宮沢賢治の…?

ぎゃお:これは私がずっと高校の時から書いてやってみたいと思っていた作品で。これだけは早良市民でやりたいってお願いしたんです。ホールサービスの方とも前の劇団からの繋がりがあったので。けっこうきちんとセットを立てて。

柴山:いつ頃ですか?

山内:96年です。

柴山:早良市民センターでやりたいという理由は?

ぎゃお:早良の照明や大道具の方に沢山相談をしていたので。物語がいろんなシチュエーションになる、それをできるだけ手作り感でなく規模の大きい感じにしたいと、早良でやると決まってない時から相談してて。「じゃあ、ああしたら、こうしたら」ってアドバイス貰っていたので「じゃあ、早良でやらせてよ」って。

柴山:技術スタッフがいるからそこで、ということだったんですね。最初13人いらっしゃったのが固定するのはいつ頃ですか?

山内:10年ぐらいしてからだっけ? これ(『銀河鉄道の夜』)がきっかけですからね。7年目ぐらいから作品がシチュエーションコメディ寄りに変わっていったんですね。そこから結構、多少、1,2名の変化はあったけど固定になったかな。

柴山:コメディばかりやるのが嫌だということでやめたということではない?

山内:そうではないですね。劇団の人数が多くなればなるほど意見も考えも増える。いかに足並みを揃えながら進めるかを考え、代表として「今うちが作っている作品を好きだと言ってくれる劇団員が楽しく公演をするため」を軸に整えるため、一人一人呼んで話すことにしました。代表として作品をお客様に楽しく面白く笑って頂くと考えた時に、劇団員が作品作りに苦労はしても人間関係で苦労するのは違うなと思って。作品づくりの苦労は良い仕上がりで報われるけど、そこに要らない要素を取り外したかった。まだその時期はシチュエーションコメディとか私、分かってなかったんですけど。やっぱりお客さんが笑ってるのを役者はすっごい喜ぶしすっごい楽しそうにしてくれる、それを実感した時に、公演が終わった時にこれがあれがとか言いたくないなと。

ぎゃお:劇団員としてや役者としての方向性が違うメンバーが出てきたのがあり、それで私が演出をやめる、このままでは演出はやれないという所まで行った。それで、次の公演は休んだもんね。「できない」と言ったら代表が「待て待て、とにかく1回休め」と。で、次の公演はその代表と役者たちみんなで演出した。私以外での公演準備に入り、劇団員で本を書いて皆で演出して。当然うまく進まず何人かは泣きついてきたし、私も稽古に何度かは行き、なんとか本番を迎えた。山内が私に見せたいと考えた公演だと受け止め、本番もちゃんと客席で見て。で「ああ、演出をやめられない」と思った。自分の劇団だ、と。その後、山内から劇団員一人一人に「やりたいことのやり方と優先順位が違うんじゃないか」と話し整理すると。「それは演出がしてはいけない、代表がするんだ」と言ってきて。

柴山:やめろと言わすに…すごく難しいと思うんですが…

山内:記憶にない(笑)

ぎゃお:隣の部屋で聞いていたんですけど、各人の話を聞き「じゃあ、違うね」って言ってました。「うちじゃぁないかも」って。言い方をしてました。お互いの幸せのために、作ったらいいやんって。

柴山:上手…ここにも策士が(笑)。

ぎゃお:荒立てずにやってくれた。たぶん私が出たら荒立っていた。

柴山:では96年の『銀河鉄道の夜』がきっかけで、97年の『プラマイゼロ』のあとに新体制に。

ぎゃお:はい。新体制一発目が『ぐりむのよだれ』。白雪姫とシンデレラが同時に出てくるお話で、ヒロインが性格が悪かったという。結末が闇深い、見終わって後味が悪いのはこれが最後なんです。これで暗い話をやり切って放たれたのかな。すごく闇は深かったんですけど、そこまでのコメディラインがものすごくパンチが強かったんですよ。笑いのギアが。役者全員が、私の想像を追い抜いて行った。こんなにおかしいことをできる人たちだったんだ!と思った方が強いかもしれません。「こんなに振り切るの、あんた!」って。 渡辺は泣いてたけど。

渡辺:私、端っこが好きなんですよ…。でも主役だし、真ん中立たないといけないし、で、なんかヒューヒュー言ってた気がします。

柴山:コメディって種類が色々あって、例えば今でこそキャラクターで笑わせているところもありますよね、お掃除おばちゃんなんか。言葉で笑わせるとか肉体でドタバタ…とか、この頃の「笑わせる」というのは?

ぎゃお:私はいまだに変わらず好きな笑いはシチュエーションの笑いなんですね。関係性と会話と突発的なアクシデントなどのかけ合わせで面白いことが起きていることの積み重ねが好きなんですけど、『ぐりむ…』に関しては状況設定をドンと変えてしまっていたので、性格の悪い白雪姫とシンデレラが出てきてどうなるんだろうと思っていたら、そこにキャラクター、動き、セリフのテンポ、間、持てるもの全部出してきやがって。自分が作ったシチュエーションに役者が持つあらゆるものが出てきて、お客さんが息もできないくらいに笑っているシーンになっていて。

『ぐりむのよだれ』 シンデレラ

柴山:脚本や演出を越えちゃったぐらいに。

ぎゃお:「この後、私出なきゃいけないのに嫌だった―」という記憶があるくらいに、ひどかったー。お客さんは手を叩いて喜ぶし。 『ぐりむ…』の時にちゃんとやりたかったのがオスカーの時に教わった所作の美しさ、見せ方、衣裳のさばき方など漫画演劇から教わった多くの事。立ち方、座り方、それを私と山内からとにかく渡辺や他の役者に注入して。所作は美しい、流れるように動く、なのにシチュエーションが間違っているからこんなに面白い!をつくりたかったはずが、飛び越える飛び越える。

『ぐりむのよだれ』 赤ずきんちゃん

柴山:所作は美しいままで?

ぎゃお:渡辺はそうでした。山内はそれを乗りこえて、美しい先のきたないところまで(笑)。もう、その次の作品からを役者に「預ける」よと。台本を役者に預けた演出に振り切りました。

柴山:芝居における役者さんへの信頼がすごく生まれたということですね。逐一の演出をするのではなく。少し話を戻して「所作の美しさ」なんですが、貴族のドレス姿の時の所作、着物の時の所作などはわかるんですが、それだけではないんですよね、きっとおっしゃっていることは?

ぎゃお:はい。前の劇団で普通に歩くっていうことをコテンパンに教わったんですよ。普通に歩けてない、立ててないってことを。一般的なお客さんが歩くと言ったらこう、という歩き方をしなさいと。例えば、うちは旗揚げ当初から 基礎練の初めは ずーっとグルグルただただ歩くっていう。ただただ正しく歩く稽古をしてました。

柴山:パズーのイメージが全然…ちがう…

一同:爆笑

柴山:確かに、役者さんの基本は、立つ、歩く、ですよね。

山内:癖がない状態を知っていないと癖ってつけられない。

ぎゃお:気にさせないというということをベースにやっていたので。『ぐりむ…』の時はドレスだし、こんなチューリップ袖を強調した動きに切り替えればいいので、みんなが心待ちにしていた姫の動きはこうでしょ、と。普通に歩けてさえくれればゼロスタートではないので。

柴山:いやぁ…パズーの新たな…(笑)。

一同:爆笑

柴山:来て良かったと思いました(笑)。

ぎゃお:ずーっと秘密にしてたからねぇ、誰にも言ってないのよー。

山内:確かに。コガキョ(古賀今日子さん)とかがお稽古場に遊びに来たときかな、10年前くらいに。じゃあまずストレッチから。次、エクササイズ。と、知人に作ってもらったエクササイズ3本くらいやって。知人に教わったバレエのプリエをやって。するとコガキョが「なんでそんなことコメディするのにやってるの?」って(笑)。私たちの中では、姿勢と一緒で。コメディってリズムがちゃんととれないとお客さんには伝わらないというのがあって。

ぎゃお:恥ずかしくなってきた、なんか。

山内:ここっていう時、みんなで一緒に動けないとやっぱり呼吸って合わないなというのもあって。舞台上で踊るわけじゃないんだけど、必ずやりました。

柴山:大野城で『スキャット』をやった時、あの時のたたずまいがすごく印象に残ってます。ひょっとしたら関係あるのかも…と今ふと思いました。では自分たちの突き詰めるものはこれだとわかり、そして演技に関する信頼も生まれてきて、それが90年代終わりくらいですか。

ぎゃお:そうですね。

柴山:西鉄ホールでやりましたよね。

ぎゃお:2008年とかじゃない? シアターポケットでやった作品ぐらいから本当に劇団員が、こんなことやりたい、パントマイムをやって、音効で遊びたいとか色々言うようになって。それを全部本に盛り込むのがこのぐらいからスタートして。10周年の2002年は3本公演を打ちました。そこで『お掃除おばちゃん』と『岩村四姉妹』が誕生した。そこから本当に開演の曲とエンディングの曲以外ほとんど音が入らない、暗転はない、場面は変わらない、人出入りだけで80分くらいの一幕で終わる自称「一幕喜劇」作品がスタートしました。

『岩村四姉妹』

柴山:10周年の時から意図的に一幕喜劇にした?

ぎゃお:はい。照明がガンガン変わり、曲がバンバン入り、物語が誘導されるっていうものに作る魅力を感じなくなって。

柴山:役者の皆さんは、すんなり。

ぎゃお:分かってないんだと思います。公演としてのしつらえは全然…。

一同:(笑)

ぎゃお:唯一本当にうるさいのがともつです。スタッフの頃から「ほんとにこれで行くの?」「もっとこういう方法があるんじゃない」ということを言ってくる。劇団員になって役者をやるようになってからも、独自の目線で横槍を入れて来て膨らむ、ということが増えました。

柴山:それはどういう目線なんですか。

ぎゃお:なんですかねー、ともつは音効スタッフの経験が濃く、ものすごく目線が客観的なので。「演劇好きではないお客さんの目線」で話してくれるので、意味がわかるわからないも指してくるし。

柴山:引いた目線があるんですね。

ともつ:…

ぎゃお:ですね。それがりゅうさんとともつさんが、付き合いは長く、途中から劇団員になってくれた目線ですね。私たちとっぷり派ではない目線で、うちというものを大事にして話してくれるので、それを混ぜるとぱずぅらしさに深みが出るというか。

柴山:皆さんが口を出せるようになった作品というのは何からでしたか?

ぎゃお:シアターポケットでやった『ミセスカオルさん』。好き放題言って、好き放題言ったら自分もこんなにきつい思いをするんだということを学び。

柴山:観客はずっと同じ方が見続けてくださってる?

ぎゃお:そうでもない。西鉄が終わった頃からちょっと減ったんです。間が空いたから。

山内:出演者も減ったしね

ぎゃお:2010年までは客演さん来てもらってるんですよ。2010年に北九州でやって、その後劇団員だけでやりたくなって、…それでお客さんが減ったかな。

山内:出演者も落ち着いているので、300行かないかな、と。

柴山:2002年に10周年をやって、2008年に西鉄でやって、その後に北九州でやって。西鉄はどういう経緯で?

ぎゃお:『お掃除おばちゃん』を中村さん(当時の西鉄ホールプロデューサー)に見てもらって連絡をいただいたんです。

山内:ぽんプラザでやったやつですね。

ぎゃお:グローアップ企画というやつで。「藍色りすと」とブッキングされています。

柴山:セットも建て込んでやっていましたよね。

まこも:10年過ぎた頃でちょっと気合いが入っていたかなぁ。

『ひのひのふう』

柴山:西鉄が450ぐらい入るんですよね、2ステぐらいですか? いかがでした、あの時?

渡辺:しんどかったです。いつもいっぱいいっぱいなので、自分が大変。

一同:(笑)

渡辺:小道具を担当していたので、プロセミアムアーチが非常に久しぶりで、小道具だったり役者だったり立ち位置だったり、見せ方が違うことだったり、お客さんの層が違うので、今まで自分とこのお客さんに甘えていたのだろうなあという偉い人たちのお話を聞きながらちゃんとしないといけないねとキュッとなったのを覚えています。

ぎゃお:「ひのひのふぅ」という妊娠出産が主題の作品で、ぽんプラザが初演で西鉄が再演だったんですけど、見に来たお客さんが産むことを決断するという機会になったことも(笑。その2公演で、4,5人います。「授かり婚しました、この作品見たからいけた!」って言われて。ラストシーンともつと二人で 産気づいたかいがあったね(笑)。

柴山:ともつさん、すごく覚えています。北九州芸術劇場も呼ばれたんですね。

ぎゃお:ツドエmeets北九州の「表現・さわかや」とブッキングされて。なんでやねんと。『酒と笑いとシャルロットとうどん』というので、うどん屋さんが後ろについてくれたんですよ。久兵衛といううどん屋さんが応援してくれて。。うどんをめっちゃ食べたね。

柴山:初北九州?

ぎゃお:はい。やりやすかった。羨ましいくらい。こんなにいい劇場が福岡市にも欲しい。

山内:お客さまも安心して来られるし。ロビーもちゃんとある。

柴山:その前に2002年の時に「一幕喜劇で、音も要らない、明かりもほどほどでいい」と思った…。のに西鉄や北劇でやった時は、音や明かりについては…?

ぎゃお:音へのこだわりはずっとあるんですけど、曲は変わらず開幕とエンディングだけで。照明さんには時間の経過だけを出してくれという話だけをしていて、あくまでもリアルにと。

山内:面白いことに逆に「ここがきっかけで、あとは時間の経過で」と渡すと、やはり技術の方たちはそれぞれのこだわりで、「じゃぁここで物干しざおのここからのあかりを徐々に入れていきます」とか、音響だったら「頭とお尻の間の時間の経過でちょっとこの時間帯は雀だね」とか、「この時間帯なら遠くにカラスだね」とかすごくこだわってこの一幕の空間を作るのにすごい集中してくださるので。

ぎゃお:きっかけ合わせとかはないんですけど、音効さんとはよくLINEで「自転車のチリンの音を聞いてください」とか。脚本に書いてないことを。エレベーターは奥にあっていいですか、じゃぁ、ズーンという音は入れます、とか。

柴山:ああSEは入れてるんですね。

ぎゃお:好きにしていいよとお願いすると 喜んでやってくださる方を選んでます。

柴山:一流のプロと一緒にお仕事したのが西鉄や北芸なんですね。その他の変化としてこれは大きいというのは。

ぎゃお:客演さんをいっぱい呼んでやっていたのをやめて劇団員だけでやった『おとぎの楽屋』(2008年)、人形劇団の話で、これは体力があるものなら再演したいという筆頭に上がる作品。一番うちらしいものかもしれない。

『おとぎの楽屋』初演

山内:これは再演もした。

ぎゃお:2011年に震災があった時に公演を打つ計画だけあったんで、でも福岡の人たちの温度差もあるし何をやっていいのかわからないってなった時に、来れば笑えるやつをやろうと思ってやったのがこれなんですよ。客演さんがいっぱい来てくれた経験があるからこそ、濃ゆいの出せるのはここだけという。プロデューサーがついていない公演という自由度と。

柴山:なるほど。これが今後も機会さえあれば再演したいという作品なんですね。お掃除おばちゃんなどは2002年が最初で、今はもうお掃除おばちゃんがどーんと前面に来ていますが、当初はそんな予定はなかった?

ぎゃお:なかった。山内がお掃除おばちゃんをシリーズ化しようと言い出したんです。

山内:これから先、40,50になってもできるキャラクターであったり、おばちゃんを主人公にした作品を持っている劇団って…うち、行けるかもと思ったんですよ。たまたまお掃除おばちゃんをやった時にお客さんがすごく笑ってくださって、しかもお客さんとの距離がロビーでとても近かったんです。で、シリーズ化したら絶対いいなと思ってシリーズ化しない?って。

柴山:2002年の最初の時からあんなにお客さんをいじり倒すものだったんですか?

ぎゃお:そんなことはないです。シリーズ化するつもりはなかったので。

ともつ:初演は、掃除のおばちゃんが実は世界を救うヒーローで、ラストは詰所のロッカーからヒーローになって世界を救いに飛び出してくるっていう。。

ぎゃお:これも劇団員の原案。初回はお客さん側からの距離が近くて、私達は割と戸惑ってはいたんですね。戸惑いながらとりあえず役で応えていた。

柴山:お客さん「から」というのは?

ぎゃお:「わぁ~!」って来るんですよ。「加藤さ~ん!」って。「ん?」と思うけどとりあえず「は~い」って答えて。「良かったよー」「頑張ったねー」って言われて「頑張ったのよぉ」って。

シリーズ化した最初が『3、2、1ぴしゃ!』ラジオ局にお掃除に行く話で、その時はお客さんに人生相談を開演前に書いていただいて、それを前説の時にまとめて、上演中に人生相談を生でするというのをやったら、その距離感が ゼロ距離くらいになって(笑)

『3、2、1、ぴしゃ!』

柴山:初のシリーズ化は何年ですか?

山内:次の年かな。忘れられる前にしようと。お掃除おばちゃんってどこに派遣されていても違和感ないので。状況を創り出す。一番新作は書きやすい。

柴山:4姉妹もシリーズ化ですね。

山内:あれは…なんで?

ぎゃお:あれは、 劇団員の皆さんが気に入ったんじゃない?。

山内:男性のお客さんに受けが良かったよね。

ぎゃお:そうだね。

山内:お掃除おばちゃんがいいって言うお客様と、4姉妹のあの懐かしい感じがいいというお客様がいらっしゃって。ちょうど10年目で1年間に立て続けでする時に、たぶんぎゃおの筆の進みが良さそうだなというのもあったし。役者も、変な話、キャラクターを一から育てなくてもいいかなというのがありますし。

柴山:確かにキャラを作ってしまうと書きやすくはなりますね。

山内:10年目は、11,12年はとばそうかなっという何となくの計算はあった。

ぎゃお:寅さんみたいにお掃除やって4姉妹やってお掃除やって4姉妹やって、みたいな感じで。

柴山:戦略としてシリーズ化なさったんですね。

ぎゃお;ですね、シリーズを持っている劇団って在福であまりないなと思って、やっちまえ!って。

柴山:これだけキャラを立たせられたというのは大きいかなという気はしてます。

ぎゃお:そうですね。最初は渡辺は号泣してましたけど。今はもう自分の適役!みたいな感じでやってますけど 初演時は「どうじだらいいのがわがりません…!」って(笑)。

西鉄やらやって派手にやっているように見えるじゃないですか。こっちも大変なんですけど。「呼んでいいんだ」と思って頂けたのか、「芝居屋コロシアム」(2007年)に呼んでいただけたりして。あそこが多分初めて。福岡演劇の人たちと、おそばにね、一緒にミーティングに出たりとか。

山内:あと大野城のやつと北九州。

ぎゃお:呼んでもらえるようになったのは西鉄きっかけ。それをやるにはシリーズ化は必須だったんだなと。

山内:変わらずにやってるとずーっと年齢が上がっていくじゃないですか。そうすると仕事的に忙しくなる、役職に着いたりとか。少し芝居だけどっぷりとできる時間は減って制限がかかって来るなかで、クオリティを落とさずにやれるかというのがありましたね、30後半の頃とか。

柴山:先ほどの公演と重なったりしてました? 西鉄、北九州、芝居屋コロシアムなど…。

山内:あぁ、ちょうど劇団員だけでやろうとし始めた時は、そういう制限もありつつだったんですよね。…2013,14年ぐらいから…要は客演さんを呼ぶと、客演さんと一緒にするお稽古の時間をちゃんとやらなきゃいけない、でも全員揃うということがむずかしくなってきて…。劇団員だけだとやりくりできる…。それで今の状態。

柴山:2020年頭にコロナが蔓延します。大きく変わったと思いますが…

山内:めっちゃ(変化が)ありましたね。仕事柄…。

ぎゃお:医療関係者と福祉の人間が多かったんですよ。私ぐらいで、ヤクザなサラリーマンは。

柴山:その間はやめていたんですか、お稽古は。

ぎゃお:悔しくて、何とか配信や動画を作るとかに進むんですけど。大きな要素に宮川さんがいて。コロナの前、2019年に、一回サキやん(宮川サキさん)と八女で企画をしたのが繋がっていく。

八女で月光亭さんの落語と宮川サキの一人芝居に前説で私たちが出るイベントが2回ぐらい続いたんです。が、2019年にやれない!となって。でももったいないよと。大阪の宮川サキを呼べなくなる、せっかくりゅうさんがずっと八女で続けてきたのにここで縁がなくなるのは本当にもったいないなと思って。じゃぁうちとコラボやる?と。「コロナでぐずぐず言ってんのは嫌だよね、気をつけながらできることがあるんじゃないか」って沢山考え、サキやんと配信動画や生配信企画を作ったり。で、配信へのハードルが少し下がってきた頃、コロナが少し緩んだ時には、4姉妹の短編を書きその場で配って「15分前にもらいました、覚えました」と言って配信するとかやったり。。

柴山:『いきなり本読み!』の先駆けですか! サキさんとどうやって知りあったんですか?

りゅう:私が八女で店をやっていてそこでマルシェ・催し物をやり、そこに月光亭さんを呼びたくて、面識はなかったんですけど月光亭さんにお願いして。

山内:彼女がサキさんに出演の交渉して。一人芝居を呼ぶという形で。

ぎゃお;(月光亭の)立石さんにつないでいただいて、りゅうさんが八女に呼んだところに私たちが前説で行って、楽屋で「初めまして」。感じ悪い人だなぁって(笑)。

山内:お互いにね(笑)。

柴山:今ではね(笑)。お掃除おばちゃんは、呼ばれて行って八女にも行ったのだと思っていましたが、自分たちで企画していたんですか。

ぎゃお;八女も最初はお呼ばれでした。浮羽でにもお呼ばれして。サキやんとのコラボ自体はこっちで企てた。

柴山:では呼ばれてもいたんですか。

ぎゃお:そうですね。市区町村的な。

山内:もともと劇団関係の知り合いの方がつないでくださって。

ぎゃお:車いすの90代ぐらいの大先輩方に「あんたたち、面白かったよ」と言われて。

柴山:今度9月にやられる作品もサキさんと一緒に。

ぎゃお:はい、私、二人芝居のユニットを組まされてるんです。

柴山:東京で?

ぎゃお:怖かったー。福岡でやって、あと長野に呼んでいただいて。飯田市の人形劇場で。

柴山:パズーとして呼ばれたのではなく。

ぎゃお:二人芝居で呼んでもらった。この10年の大きい変化は、よく呼んでもらえるようになったこと。個人でもピックアップされるようになって、割と私にもお声がかかるようになってきたというのはあるかな。あと渡辺が職を変えたというのもパズー的には大きくて、カメラマンとかwebをやるようになったので、元々デザイン感のある方だったんですけどそれを今仕事にしてるので、一手に私が引き受けていたことを二人でやれるようになったこと、それと彼女は動画もやれるので配信の流れからほんとにちょうどよく動けてるかな。「がんばるおばちゃん劇団」でいいんじゃないかな。

渡辺:今日は来てないんですけど、英愁も高校演劇で企画したり運営したり上に立って演劇を作ったりしてるので。私はこの中で一番最強の素人なので、高校演劇からポンと入ってきたので、裏のことを何にも知らないんです。やっと職を変えて動画したり物づくりに関われるように…今やっと。演劇って楽しいんだなと。

ぎゃお:結局みんな劇団員はパズーバカなんですよ。

柴山:素敵な一言ですね。

ぎゃお:パズーであればいい。

柴山:ずーっとこの調子でおばあちゃんになっても…

ぎゃお:そうなんですよ(笑)。グループホームを目指す。

一同:(笑)

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