インタビュー:大石房之助さん(Powerful Salad)

*1990年から95年まで福岡市内で活動していたPowerful Salad(パワフルサラダ)。残念ながら私は見ていないが、いろんな劇団に取材する中でちょいちょいその名前を耳にしていた。そこで、元団員でもあった「劇団轍WaDaChi」の日下部信さんにつないでいただいて、パワフルサラダ主宰の大石房之助さんにお話を伺うことができた。…なんかねぇ、オシャレなんですよ。本職に加えてバイクショップやライブハウスも経営されて、やりたいことを形にしている方です。頂いた名刺も個性的でカッコ可愛い!(デザイン違いを2枚もらってしまった) 30年経ってもその名を聞く劇団なんて、なかなかない。あぁ、見たかったなぁ、パワフルサラダ。日下部さんにも同席していただいてのインタビュー、お楽しみあれ。

「Powerful Salad」は東京で芝居をしていた大石房之助が、福岡に戻り結成した劇団である。1990年から1995年の5年間、福岡市で活動していた。

柴山:東京で芝居をやっていたということですが、芝居を職業にすることは考えなかったのですか?

大石:役者としては仲代達也さんが好きだったんで一瞬「無名塾」は頭によぎりましたね。先輩もいたし。ただ、確かあそこは当時応募基準で身長制限があったんですよ、180cm以上? 仲代さんが大きい人が好きらしく。マクベスとか洋劇やるのには華やかで迫力があって良かったんでしょうね。一回先輩に頼まれて搬入のお手伝いに行ったことがあって、その時も若い役者さんがみんなデカくて金髪で迫力はあった。その時175~6(㎝)の役所広司さんがフラッとロビーに出てきた。役所さんがNHK大河ドラマ『宮本武蔵』に出たあと頃なんですけど、眼光鋭く、他の役者さんとは全くオーラが違って。それを見て、成功するのは一握りの選ばれた人間なんだなと現実を…。エキストラしてた時に見た松田優作さんも圧巻でした。あとは少し芝居をかじってからですが、役者というより劇団に興味を持ちました。「山の手事情社」とか「カクスコ」。個人的に作風が好きだったのは「ウォーキング・スタッフ」の和田憲明さん。日下部くん知ってる? 

日下部:はい、もちろん知ってます。

大石:さすが。和田さんの作り方が僕の好み。男っぽいドラマ仕立てで。そもそも芝居芝居したのはやり方も理論も知らないので、やるならあんな感じの…のちに有名な監督になった人たちが手掛けた『傷だらけの天使』とかの空気感…映画みたいに作られた、ああいう世界をやりたいなと。

大石は帰福してすぐに「劇団 芝居小屋」に入団したが2本出演したのち(2本目の『最後の淋しい猫』では演出を担当)退団し、「劇団 Powerful Salad」を設立した。

柴山:劇団名の由来は?

大石:もともと音楽畑で、高校の時にバンドでコピーしまくってた、知る人ぞ知る「ウシャコダ」というR&Bバンドの1stアルバムタイトルが「パワフルサラダ」で、かなり、今でも思い入れがあって劇団発足の時には迷わずこの名前に。

柴山:どんな劇団に影響を受けたんですか?

大石:そもそもあまり芝居を見ないので、どちらかというと映画やドラマですね。演劇だと、「第三舞台」、「(夢の)遊眠社」、「劇団三〇〇」とかの次の世代の人が割と実験的なお芝居をやったり、新劇ではない感じの芝居をやってたので仕事を絡めて東京まで観に行ってました。それこそ「カクスコ」とか「山手事情社」、「ウォーキング・スタッフ」とか。

柴山:脚本は初めからオリジナルですか?

大石:現実的な話ですけど、若い役者のチケット販売力は侮れない(笑)。そういう若い子たちをキャスティングするには既存の戯曲ではやりづらいから原作的なものはあっても大幅にアレンジしたり。そして若い、入ったばかりの子でもちょい役をつくる。チケットを販売するモチベーションにもなりますし。だから必然的に。

柴山:福岡の演劇シーンについてお尋ねします。その頃…

大石:福岡では芝居をほとんど見ていなかったのですが、旗揚げ公演の後に当時パワーサプライの荒巻くんプロデュースのイムズ芝居にちょい役で出させていただいた時にいろんな劇団の方に会いました。みんな個性的で面白かったですね。荒巻くんは今でもたまにパワフルサラダの忘年会に来てくれて当時の話なんかもします。あと、役者としては浦辻純子さんが主宰してた「ユヤユヨン」の麻倉さんがすごく良くて、何かのきっかけで意気投合して『Crazy Night』に客演してもらいました。ロックンロールっていう一言だけの台詞(笑)。でも存在感はさすがでした。そのうち二人でマーティン・シャーマンの『BENT』やろうって盛り上がってましたね。客演といえば「芝居小屋」の大山隆光さんも上手い役者さんで2回客演していただきました。

柴山:日下部さんは最初から関わられているんですよね?

日下部:そうです。見に行ったらめちゃくちゃ練習していて感化されて絶対ここでやりたいと。若い頃の僕にはですね、東京ではそれが基準だったと思うんですけど、身体訓練も発声訓練もちゃんとしてた。レベルが違った。

大石:基礎的なところだけでしたけどね。一度「K2T3」のメンバーの方たちと合同練習で基礎練をやったことがあったのですが、何年か後にまだやってくれていてちょっと感激したことを覚えてます。

日下部:そういう存在だったと思いますよ。

パワフルサラダは1991年に旗揚げ公演『Close Your Eyes~クローズ・ユア・アイズ~』をパピオビールームB1ホールにて上演した。ちなみにパピオビールームの地下大練習室が公演会場として使われたのはこれが初めてのことらしい。

旗揚げ公演『Close Your Eyes』

大石:パピオビールームができて下の大ホールで公演したのは自分たちが最初です。そもそも芝居には適していないんですよ、反響しすぎて。ただうちらの芝居の場所設定は工事現場とか、戦地だったんで(合うし)。舞台もイントレ組んで。造り込んだ舞台装置と違ってイメージも固定されず、照明も自由に吊れる。多少反響しても違和感ない舞台設定だし、客が多く入れば反響を吸収してもらえるし。結果、本公演は全部パピオビールームでやりました。

柴山:どんな作風だったんですか。

日下部:男くさくてスケール感があるし身体を使うし。テーマは骨太ですよね。

大石:『Close Your Eyes~クローズ・ユア・アイズ~』はウォーレン・ベイテイの『天国から来たチャンピオン』をボクシング編に変えたような。これは旗揚げということもあって、いろんな客層向けで。この後(Vol.2『Crazy Night』Vol.3『Heavy Days』)は男くさくて、憎めない男たちを中心に描いたものですね。このスタイルが本来やりたかったものです。ショーケンの『傷だらけの天使』とか松田優作さんの『探偵物語』とかのイメージで。テーマはシリアスながらも軽快で笑いもふんだんに取り入れつつ。登場人物のキャラ設定も同じにして前回見た人がすんなり馴染めるようにもしました。役者は不満があったかもですが、それは番外公演で解消させるという…。

柴山:チラシや舞台写真を拝見する限り、おしゃれですね。イントレもかっこいい。

大石:僕は音楽から入ってることもあって、芝居を作るにあたっても照明とか音響とかそういうことを同時に考えてしまう。芝居を作るというよりMVを作っているような感覚。この場面の後はどんな場面があると客が「おっ!」と感じるかとか。このシーンをこんな照明でこんな曲を入れると数ヶ月の時間の経過が感じられるなとか。

第3回公演『Heavy Days』
第2回公演『Crazy Night』
第3回公演『Heavy Days』

柴山:映像に行こうとは思われなかったんですか?

大石:それはよく言われたんですけど、映像は編集作業が大変ですよね。その面倒くさい作業が好きではない。また、芝居の数日間で終わりというのが潔くていい。ただ映画的手法(匂いのする)で作りたい。映画監督のジョージ・ロイ・ヒルが好きで、『明日に向かって撃て』、『スティング』の。あの人の場面転換の作り方がすごくおしゃれで。そういうのも舞台で試したいと思って。興味があることを舞台で試して仕上がったものが、映画みたいな感じだったねと言われてましたね。

柴山:映画の場面転換を舞台に活かすというのはどういうことですか?

大石:曲のセレクトもですが、例えば暗転前に舞台にいた役者が暗転後には別の役者と入れ替わっているとか、暗転も利用して芝居全体の統一感、時間の経過、繋がりを作っていくとか。色々です。

柴山:ああ、空間を作りたいんですね?

 大石が語るように、Powerful Saladのこだわりは脚本(作品内容)だけでなく全体的な空間にあったようだ。それは、それぞれの作品に「脚本」ではなく「構成」という形で大石の名前が載っていることでもわかる。

大石:テーマ決めて作りこんでいくというよりはテーマに合わせて場面を作っていくタイプ。

柴山:「構成」というのはそういうことなんですね。

大石:台本は一応書いているけれど場面を作るため。それもそのうち書くのに疲れて来て、『Hevy Days』は日下部くんに頼んだ。テーマとイメージざっくり伝えて、書いてみる?って。書いてもらって、(日下部の脚本が)ちゃんとしているからプロローグのセリフだけ頂いて別の物語にした。申し訳ないけどパワフルサラダがやるにはちゃんとし過ぎてた。轍スタイル(笑)。

日下部:そうでしたね。

大石:最終公演は若手のメイン役者が抜けたので、方向性を変えて斎藤憐さんの『黄昏のボードビル』。これは個人的に思い入れのある戯曲で。パワフルサラダらしからぬ大人っぽい仕上がりになりました。思い出すのは、中学の時の同級生のマヤ北島という男が芝居小屋時代からずっと観に来てくれてて(途中まで同級生の大石とは知らなかったらしいが)、辛口の北島が珍しく気に入ってた。そんなこともあって、まぁ、年も取ってきたしこのスタイルもありかなとも思ってました。ただ次は和田憲明さんの『アリゲーターダンス』をやろうかなって考えてたんですが、なんか忙しくなってきてフェードアウトしてしまいましたね。

旗揚げ公演を観た人に「これは演劇じゃない(演劇の作り方じゃない)」と言われたこともあったようだが、それならばと「劇団」の文字を外したという。

 旗揚げからずっと600人ほどの観客動員があり、当時の公演を見た人たちからは「パワフルでめちゃくちゃカッコよかった」という声も聞く。しかし、団員それぞれが仕事を持っていたこと、中心的役者らの退団、座長の大石も仕事で多忙になったことで、次回の予告を打ったきりPowerful Saladの活動は途絶えた。5年間で、番外を含め上演作品は5本だった。

最後の作品となった、番外公演『黄昏のボードビル』(作:斎藤憐)

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