本の紹介(5)
『天保十四年のキャリーオーバー』 五十嵐貴久 2019年 PHP研究社
江戸末期を舞台にした、勧善懲悪エンタメ小説である。人物、出来事、文化や生活はできる限り史実に沿っているが、そこから妄想をふくらませてできあがったのがこの物語。天保の改革で人々の楽しみを取り上げただけでなく、不正をして私腹を肥やした南町奉行の鳥居耀蔵に仕返しをする話である。
芝居(舞台)の話ではないのに本ブログで取り上げる理由は、七代目市川團十郎が主要人物の一人として登場するから。そして各章のタイトルも芝居仕立てで「大序 柝の音」に始まり、最後は「閉幕」、その間の章のタイトルは「鳴神不動北山櫻」「暫」「助六所縁江戸櫻」「勧進帳」と歌舞伎の外題が並ぶときている。つまりは本作を歌舞伎舞台のように楽しめということらしい。ちなみに「勧進帳」以外に各章のタイトルと当該歌舞伎作品は、内容としてはあまり関係がないように見える。ただし、いずれも七代目市川團十郎に縁が深い作品を並べている。
本作の面白さは「どうやって鳥居耀蔵に一泡吹かせるか」というところだ。鳥居は庶民には厳しいくせに、陰富(幕府公認の富籤の裏で横行していたノミ賭博)の胴元としてとんでもない額を儲けていた(正確には手元に「預かり金」として持っていただけだが、鳥居は最後の富籤でそれを総取りするつもりだった。掛けるたびに預り金が増えるので、本書タイトルに「キャリーオーバー」という言葉が使われているわけだ)。この江戸時代の富籤や陰富文化の説明がとても興味深くて面白い。鳥居の不正のからくりを見抜き根こそぎ奪う計画を立てたのが、養父が自害に追いやられお家改易となった矢部鶴松、七代目市川團十郎、噺家の二代目立川談志、戯作者の柳亭種彦の娘・お葉。当代の文化人そろい踏みである。鳥居に恨みを持つたくさんの町人たちも協力する。「妖怪」の語源となった鳥居耀蔵(鳥居甲斐守耀蔵)だけあって、大変な嫌われ者だったようだ。本書での悪役ぶりも徹底している。妖怪の鳥居に彼らがどう立ち向かうのかは読んでのお楽しみ。
初代市川團十郎は「人の世はみな芝居」と言ったとか。本書で七代目はとある人物に化けるが、談志もお葉も化けて芝居を打ったし、鶴松も一芝居打つ。そういう意味での芝居もあるが、町人たちがそれぞれの仕事で「役目」を果たし、鶴松たちに協力する。よく日常でも「役割を演じている」と言うが(「母親を演じる」「素の自分とは違う」など)職業もまたその人に割り当てられた「役」なのかもしれないなと、ふと思う。そうして繰り広げる私たちの人生もまた、舞台の上で消えていくはかない芝居の如し。そんな感慨もいだいた。
大団円の後、彼らのその後が説明され、本書も幕引きとなる…のはいいのだが、七代目が「…市川座の舞台には上がらず」という表記が。ん? 市村座の間違いか? 最後の最後で引っ掛かってしまって、木戸銭を少しケチりたくなった。