2025年3月9日(日)11:00 @ロイヤルホスト
対象作品:『境目』ギムレットには早すぎる 作:下沖悠人、演出:村岡勇輔、出演:山下万希、五島真澄(PUYEY)、高松脩人(ふんわりパジャマズ)、渡邊大(Space_)
*2016年から福岡、小倉、久留米などにおいて不定期に「シアターカフェ」を開催してきた。シアターカフェとは、観劇した後に有志の観客(10名程度)でお茶を飲みながら、見たばかりの作品について語るというものだ。作品の役者・劇作家・演出家が参加してくれることも多く、毎回かなりの盛り上がりを見せる。
*今回はキビるフェスの演劇公演の中で最若手、「ギムレットには早すぎる」(略してギム早)の公演が対象である。ギム早は2023年、2024年に全国学生演劇祭で二年連続して大賞受賞という快挙を成し遂げた劇団。今回はタイトル『境目』が表すように、現役大学生も含めた男性4人が、人との距離(人との境目)、独り立ちすること(親との関係)、などを考えさせる作品を見せてくれた。シアターカフェの対象公演は朝11時からと早いためカフェに参加者がいるかと心配になったが、女優・テクニカル担当者・制作者に加えて名古屋からの全国学生演劇祭の実行委員の方など多彩な顔ぶれ7名が集まって、カフェがスタートした。以下は、内容別に分けて紹介していく。

●主人公ミドリムシについて、親との関係
「主人公は発達障害、自閉症などだと思い見ていた。きっと親にも強いこだわりがあるのだろうと。しんどいだろうと思って、主人公の周囲に感情移入をして見た」
「そういう子だと思って見ていた。だから発達障害を笑いにすること、暴力を笑いにすることが、笑えないと思った。演劇とは傷つきに行く体験だと思っているけれど、観客が傷つけられる/作品が(積極的に?)傷をつける、この作品はどちらなのだろうかと思った」
「私はミドリムシくんを発達障害だとはまったく思わなかった。むしろ、親との関係が原因で人との距離を取れない人になってしまった、その苦しみの話と思って見た。ちょうど自分の息子が二十歳で重ねて見たからかもしれないが」
「私も発達障害だとは思わなかった。彼が学級委員長をずっとやっていたというエピソードで…私も学級委員長をやって来たタイプだから、その意味で…つらい部分もあって」
「発達障害についての漫画が最近多くて、その点から、今このタイミングでなぜこの内容の芝居をやるのかと思った。テレビでやったらすごく叩かれるだろうと思う」
――主人公ミドリムシを発達障害と捉える見方と、全くそうは思わなかったという見方に分かれた。実はこの点については、最後に作家の下沖悠人氏が「なぜこの時期にこの作品を書いたのかという質問は…自分は<こういう事ってありますよね>という程度で書き始めることが多くて。ちょうど自分が学生から社会人になって環境が変化したことが影響してます。行動や会話などで成り立つ自分が、どこまで本当の自分なのかと考えて(本作を)書いた。だから、ここで『発達障害』というワードを出されて初めて、そういう捉え方をされるのか…と驚いて…」と述べた。もちろん作者の意図と観客の捉え方が違うのは当然だし作家だけが正解ではない(その自由度こそが演劇なのだが)。ただ、それによって作品の見え方がずいぶん変わってくるだろう。例えば主人公が「駄々をこねる」シーン。
「友達に駄々をこねられるなら、あそこまで拗らせないはず。何かの伏線になるかと思ったがそれもなかったので、あそこまでやらなくてもよかったのでは?」
「ギャグとして描いているのか、彼のパーソナリティとして描いているのか分からなかった。どのポジションで見ればいいのかわからない」
「学級委員をやるようないい子だったのよね、いい子なのにどういうコトって思った」
「駄々をこねるっていうのは、暴力だから」
「いや、駄々をこねられるのは親よりも近い関係ってこと。甘えでしょう」
――「駄々をこねる」という行動が特殊なだけに、少々浮いて感じた人が多かった様子。しかもそれが序盤に出て来たので主人公の性格付けなのか、作品における遊びの部分なのかが分からずちょっと議論の対象となった。また、親との関係も話題となる。
「親との関係という点では、確かに自分もふり返って考えた時に、自分の問題点が親のせいだと思えて初めて楽になったという経験がある」
「(ある役者が一瞬、母親として登場するが)全員が母親になってもいいかも」
「母親の話が出て来た途端に主人公は身体をかきむしり始める。あの様子が切実で、ちょっとたまらない気持ちになる」
「ラストで壁をバンと割る、あそこまでが7~8割…という感じだったが、あのシーンで価値観が変わってよかったと思う。20代の頃の自分を思い出して、親との関係の上である意味リアリティがあった」
●不思議な先輩、ヤマネの存在とは?
――劇中に主人公・ミドリムシのワンダーフォーゲル部の先輩・ヤマネという男が登場する。ミドリムシのTPOを無視した変な気の遣い方に周囲の人々は戸惑ったり呆れたりしているのだが、このヤマネという男だけは反応が違う。同じくTPOをわきまえず(考えもせず?)ミドリムシの提案を受け入れることで、図々しくつかみどころのない特異な存在になっている。このヤマネという男をどう捉えたらいいのかという話に及んだ。
「なぜヤマネ先輩は山に登るんだろう?」
「この話は、私と私でないものの境目の話。外部の存在としてのヤマネということかと思う」
「ヤマネは境目を超える人、かな」
数人がうなずく。
「ヤマネは、主人公ミドリムシがなりたい人なのかなと思った。そして山に登るのは…見下ろせるからかと」
――「ああ…見下ろすかぁ…!」とつぶやく人もいる。何を見下ろすのだろうか。見下ろすというより客観的に引いて人間関係をながめる…ということなのだろうか。
「ヤマネの存在は不条理ですよね。演出の村岡さんらしい」
●そのほか
「もう少し、音や明かりといったテクニカル面で作品の気持ち悪さが演出できたはずなのにと残念。例えば、時々鳴る『ドン』という音が一か所の同じスピーカーから聞こえていて、まるで隣の部屋から壁を叩かれただけのように聞こえる。音の出し方に工夫があった方がいい。照明デザインも明確にスタッフに意図が伝わっていない感じがしてもったいない」
「美術(装置)ももう少しどうにかならないかな。」
「白ボックスの色が微妙に違うのが気になった」
「装置の壁も白。白は難しいから…」
●カフェ後の感想
*同席していた村岡勇輔氏(演出)と下沖悠人氏(作家)にとって耳に痛い部分もあったかもしれないが、個人的にはみなさんの指摘や意見になるほどと感じるところも多かった。舞台技術の工夫については少し改善するだけで芝居が変わりそうで、すぐにでもグレードアップできそう。4人の役者それぞれとても良かったし(その意見も出ていた)、テーマも描き方も私は悪くないと思っている。特にヤマネという存在を入れたことや、若さゆえのもどかしさや生きづらさが伝わる終盤近くは良くできている。「何を伝えるためにどこを削りどこを強調するか、どう見せるかを意識する」「結末を丁寧に描く」ことで、もっとよくなるのではないかと期待している。
両氏が帰って、残った数名でもあれこれとお喋りが弾んだ。初めて会った人たちと、こうやって縁が繋がっていくのも面白い。これもまたシアターカフェの醍醐味の一つである。