
●六つの顔
監督・脚本:犬童一心
出演:野村万作、野村萬斎、野村裕基、三藤なつ葉、深川博治、高野和憲
ナレーション:オダギリジョー
題字・アニメーション:山村浩二
音楽:上野耕路
監修:野村万作、野村萬斎
感想
狂言師、野村万作のドキュメンタリーである。
ただ予想と違って、「長年撮りためてきた」記録映画ではなく、2023年に受賞した文化勲章受賞記念公演(2024)を中心に撮った作品だったので、少し肩透かしの感がある。万作のドキュメンタリーとして十分な撮影時間をかけたという気がしないのだ。後から知ったが、その理由は万作自身が近年になって「撮ってほしい」と頼んで始まった企画だからかもしれない。万作について深く知るには足りないし、初心者が狂言の楽しさや奥深さを知る映画と言うにも足りない。中途半端な印象を持った。
それでも、野村万作という男の美しさが、この映画のおかげでわかる。美しさとは、芸への矜持、毅然とした生き方、知性、そういった事である。普段着で稽古場に向かって歩く後ろ姿にその美しさが見えるし、舞台に上がった時の立ち姿も芸に真摯で堂々とした美しさがある。終盤まで白黒の映像だからその人間的な美しさが余計引き立っている。93歳(撮影時)の男性に「美しい」と思うとは、自分でも驚く。
もう一つこの映画で良かったのは、狂言『川上』を客席からではないカメラワークで見られたことだ。特に鏡板(松の絵が描かれている本舞台の背景)の方から客席に向かってのフレーム、地謡座の上の方から本舞台を見下ろすようなフレーム。どんな狂言の(能の)舞台映像でもこんな映し方をすることは絶対にない。『川上』のラストは再び盲目になってしまった男を妻が介添えしながら歩いて去るのだが、シテ(万作)とアド(萬斎)の2人が橋掛かりを行くその後姿を映す。客席から見ることができない、真後ろからの去り姿である。夫婦の愛情だとか、運命を受け入れる悲哀だとか、諦めだとか、安堵とか…『川上』の全てを表わしていて、得も言われぬワンシーンだ。この映画の白眉と言っていい。
私は、万作の会や萬斎の会で、年に二回は野村万作の狂言を見ている。もう何の演目だったかも覚えていないのだが、彼が本舞台で歩いている姿に胸打たれ涙がこぼれそうになったことを思い出した。その時はその理由が分からなかったのだが、きっとこの人の美しさに打たれたのだろうと、この映画を観た今ならわかる。