2026年1月24日(土)20:00~ @なみきスクエア大練習室
対象作品:『黒と白と幽霊たち』バストリオ+松本一哉(作・演出・出演:今野裕一郎、演奏:松本一哉、出演:坂藤加菜、橋本和加子、菊沢将憲=声、衣裳:告鍬陽介、美術:黒木麻衣)
*2016年から福岡、小倉、久留米などにおいて不定期に「シアターカフェ」を開催してきた。シアターカフェとは、観劇した後に有志の観客(10名程度)でお茶を飲みながら、見たばかりの作品について語るというものだ。作品の役者・劇作家・演出家が参加してくれることも多く、毎回かなりの盛り上がりを見せる。
*キビるフェス2026のトリを飾るのが本作。前日に見た友達から「調子が悪かったけど、見たらスッキリした」という連絡をもらっていて、見る前から楽しみが増していた。またフェス事務局さんから「昨日は公演終了後に劇場内に残るお客さんが多かったので、余韻を楽しむためにも会場内でカフェしませんか?」という提案をもらう。ワクワクの揃い踏み! 終演後は、胸にいっぱいの想いをためた、たくさんの方がカフェに参加してくれた。すぐには言語化できなくても、それぞれが少しずつ発するワードに触発されて、考えがまとまっていったり新たな自分の思いに気づいたり。実りある時間でした。

*今回は、流れに合わせて一部だけ会話の順を替えています。
●一言ずつ…
もってぃ:うまく言語化できてなくて…とてもライブ感があって、僕は松本一哉さんのライブは何度も見たことあるんですけど、ライブって見ている間に心が自由になれるというか。一方的な受け身な感じじゃなく自由にいられる、そういう空間がとても良くて。美術が色々あって、散漫だけど散漫じゃない、音や美術も含めてこの不思議な空間について話せたらなと思います。
りょう:心が揺らされたんですけど…みなさんの感想を聞きたいと思ってここに残ったんですけど…。印象に残ったのは、たらいみたいなのをグルグルグルって投げたのが落ちついた瞬間にセリフが始まったとかそういうスイッチが入る瞬間です。
ニノ:印象に残ったのは衣装が可愛かったことです。すごい可愛いなと思った…松本さん以外の3人の衣装が。
真吉:見てていろんなことが起きているんですけど自分の記憶と繋がる所が面白いなと思って。そこがめっちゃすごいなぁと思って。特に私は海の映像が出てきて、一人男性かなぁ、の背中が見えてそれが移動していくっていうのが(映されるのが)新聞紙だからよく見えないんだけど。それとかたぶん命の重さとかをずっと語っていたように思ったので生きなきゃいけないんだなということを強く思いました。皆さんもあそこでこんなことを思い出したということがあれば聞いてみたいです。
テツ:僕も空間がすごく印象的だったですね。いろんな音があって、いろんな所から声が聞こえて来て、その飛んでくる音と空間で色々見えている…光も…音もいろんな楽器の鳴らし方があって水の音とか…そこに込められている思いを読み取るというよりは全体の空間に自分がその中にいるという感じがしました。
ケンジ:前衛的だなと思ったんですけど、気になったのは、最後にドラムがバンバンなってその時にメガホンで起きた事件、「ウクライナ〇人」とか言っていて、今年は戦後80年なんですけどやっぱりこんなのが続いているなかで…ドラムとその声で感覚が…グッと来ました。
のひ:私は側面から拝見していたので同時に色んな演者の方が動かすのが見えて、それが本当にバラバラな動きのようで一つのストーリーの中で音とか声とかが1つのハーモニーになったり静かになる瞬間とかに、私の感覚的な物として「まとまる」というか集中できた…目で見ているだけよりも音とか動きとか全体的な物を見ながら体で感じられたのが良かったなと、驚きました。
くぼ:私はどちらかというと客席と舞台が分断されている方が好みというか、フィクションであってほしいと思っちゃうタイプなので、こういうタイプが苦手意識があるんですけど、今日見てこういった客席と一体化というか巻き込まれる感じの舞台に対して新たな感想を持ったので話したいです。
いしだま:とにかく素晴らしかったなと思ったんですが、何がこんなにって…速度がすごいって思いました。何かが再構成されて再現される時ってどうしても現実そのものより速度が遅いことがある。でも今日は現実の速度とすごく近い。ライブを見たとすごく思って。…物語を組んでいって再構成され行く構造の中に何かある、っていうものを差し出されて飲むというのではなくあらかじめそこに小川が流れていてそういったものを自分たちが勝手に触って勝手に飲んでいい勝手にチャプチャプしていいみたいな速さ。手渡されるのを待たなくていい、みたいな。
もってぃ:すごいよく分かります。用意されている言葉なんでしょうけど、なぞっていってる中で速度が遅くなるってことはよくあるけど今生まれていっててそれが決して大げさなものではなく、ここにいる人とか物とか舞台上でフィクションとして用意したものじゃなくそこにあるということ。
柴山:同じ空間に生きている感じがしたということで合ってる?
いしだま:そうですね、そういう言い方も合ってると思います。コップがあります、落ちます、ってなった時にこの速度感とこの高さから落ちた時の破裂音って私たちの身体はめちゃくちゃ吸い込んでいてものすごく理解している、普段から。こういう高さから落とした音と似た違う高さから違う素材の音を使った時に、微妙に違和感を感じているはずなんです。こういう時はこういう感覚というコアイメージに相当近いんすよ、やっていることが。誰かが歩いている時に後ろで薄くなっているノイズの音が、身体の動きが止まる瞬間とかなり合った状態でパッと消えるそのタイミング感とか。身体感覚的に正しいという言い方をすればいいのかなと思うですけど。歩いている時に耳の中にゴウゴウ自分が進んでいくときの空気の鳴りが聞こえているじゃないですか、聞こえている小さな空気の鳴りが自分が止まった時にスッと消える、みたいなそういうところと身体感覚的に齟齬が少ない。気がついたら体感的に巻き込まれてしまっているというか。フィクションの中にいるという感じがしなくなる、そういうことが起きていた気がします。
テツ:水の音を聞いた時は、ペットボトルもよく知っているし水を流すのは身近ですので演劇というか空間に没入するところを妨げられるという感覚はありました。自分のスピード感というか生活の音とか、現実にグッと戻されるというかそういう感覚はありましたね。
柴山:ごめん、分かってないんだけど、テツさんが言っているのは「現実に引き戻される」、いしだまさんが言っているのも同じこと?
いしだま:結局はそうだと思います。私たち、こうやって喋っててもあっちで音が鳴ったら会話がかき消されたりするじゃないですか。それもひっくるめて現実で起きている。それと同じようなことが適度に起こっている。
柴山:ああ、フィクションだったら、例えばここに焦点を当てようと思ったらここだけ、現実には同時発生的に起こっているんだけれども、フィクションはどうしてもここだけに注目させてしまう、ということね?
いしだま:そうそう。そういうこと。生きている時にすべからくいろいろなノイズであったりとか誰かのピークが別のところで起きてたりとかみたいな、ポリみたいなことが波形みたいな感じで起こっていてその感覚が生きている時の感覚に近いというか。
柴山:ほう、なるほど。私が影で感じたことに近いかな。天井から吊られているものをちょっと触って揺らしていくときの影を見ながら感じたことに近いのかな…。
私の感想ですが、私も部分部分でいろんなことを思いました。真吉さんが「自分の気持ちと結びつく」っておっしゃったけど、亡くした家族のことを思い出したり逆に自分が子どもを産んだ時のことを思い出したりしました。それと松本さんの音楽が…言葉にならないくらいすっばらしいなと思って。そして最後に彼がドラムをバーッと叩き始めると、その数が映し出されますよね、あれ見てて「人が死んだ数…?」と思って。叩くたんびに数が増えていくのが、その音が銃の音にも倒れる音にも聞こえて、どんどん増えていく…映し出される数字は数百ぐらいで止まるんですけど、私の中では止まらなくてぞっとしてしまって。それを彷彿とさせるシーンもたくさんあって…。

●空間の使い方
柴山:さてくぼさん、今回は舞台と客席が分断されていない作品で、その事についてどんな風に新たに思ったのか、もう少し詳しく聞いていいですか。
くぼ:私が見た、劇場とかホール以外でやる芝居が、「劇場以外でやってますよ」ということに価値を置いているというか「できるんですよ」という意図が感じられて(笑)。でも今日見たのは初めて「あ、お寺で見てみたいな」とか「畑の上だったらどう変わるんだろう」と思って。それと最近、祖母を亡くして法事とか多かったので、お寺の風景も浮かんで。線香もたかれてましたし。巻き込まれて苦じゃないというか。私はプロジェクターの近くだったんですけどその「ジジ…」という音すらも一緒に。
柴山:わかるわかる、一つ一つの音が、生きている時に聞こえてくる効果音というか。そうそう、お線香の香りとか、水のちゃぽちゃぽという音とか、先程りょうさんがおっしゃってた「グルグル、バタン」とか。それと振動も感じましたよね。
ケンジ:こういうの見るの初めてなんですけど、真ん中にいて後ろを見たり前を見たりするというのがすごく新鮮だった。演劇って前を見るだけなんですけどいろんな所を見ることによって没入感みたいなものが生まれてくるのかなと思いました。いろんな所から音が鳴るからあっち見てこっち見てというのがさっきの話と繋がってくるのかなと思いました。
りょう:広場とかキャンプファイヤーとか、そういう状況で行われていること…正面が限定されてない。
柴山:ということは、ここは閉ざされた空間だけどもっと広く感じたということ?
りょう:そうですね。舞台に表があって閉ざされたじゃないけど…もっと視野がギュッと狭まってる…感覚もたぶん音とか光とかもどこで何が起こるか分からないから常に開いてないといけないし。見ないという選択肢も。全部追おうとしても無理じゃないですか。だから諦め…じゃないけど、その感じは広場にいる感覚に近いのかなと。何となく気配は感じるし喋っているのは分かるし、喋っているのがこの場では主役的な感覚で聞いているけどでもあえて目では追わないというか。
柴山:確かに「見ない選択」というのは言いえて妙ですね。あっちで何か話していても動いていても、身体はこっちを向いたまま耳だけ開いているとか、場合によっては音すら遮断して考えているとか…
りょう:それこそさっきの影とか天井を見ていたりする時間もけっこうあったんで。ボーっとしている時間というか、聞いてるけど聞いてない時間。いる、お互いに「いる」。自分がそういう状況になっていることはちょこちょこあった気がします。

●衣裳
柴山:ニノさんは衣装が可愛いと…。
ニノ:すごい抽象的な作品だなと思いますし、その中に出てくる人たちがまとっているものとして柄物であるけれど主張しないし、だけど鮮烈にその人たちのキャラクターが表現されているなぁと思って。あんまり柄も詳しく見れてないけど、一見すると可愛い印象を受けるし、これはなんなんだろうなと。たぶん、不穏な空気が流れているからそれに合うものみたいなのを置いちゃいそうな気がするんだけどプリンティングの生地を使っててフォルムもふわっとしていて、え、何でだろうと思うんですね。でも全体として「あ、そうだな」と思わせてこっちに伝わってくる感じがビジュアルにあって、「うわぁ」って思たんですね。出オチじゃないですけどこの空間に入る時に「うわぁ」って。可愛いというのもあるけど「あ」って。
柴山:最初に彼女たち二人が前に立つシーンで、私は上手側に座っていたので坂藤さんの声しか聞こえなかったんですけど、「いらっしゃいませ」「ちぇ、舌打ちかよ」みたいなセリフを言っていてコンビニの店員をしているのかなと思ったんですね。だから「現代」を表わすという意味であの恰好なのかなと思ったんです。衣裳は可愛かったんですけど、最初にあの二人が目の前でにかーって笑った時、私怖くって…(笑)
りょう:あの手の笑顔って「笑って」って感じのもとれるじゃないですか、笑顔で返してね、という。現実にその場にいたら敵意はありませんよという主張のある笑顔というか。
真吉:さっき、遮断の話をされてましたけど、逆に匂いは絶対に逃れられないと思いました。後ろでマッチを擦られたら、けっこう近くだったので、マッチは逃げられないな、これは嗅いじゃうなと。
柴山:そうですね、マッチとお線香。
真吉:そう、五感にも。視界は選べるけど匂いは選べないんだなと話を聞きながら思いました。
りょう:匂いは記憶ともつながってますし、逃げられないというのは確かに…そういうのとも関係あるのかな。
真吉:劇場で火焚く?みたいな(笑)。
一同:(笑)
柴山:思ったけどすぐ水に入れたから安心した(笑)。
くぼ:消防署に許可を(笑)
りょう:イスのやつ(椅子を床にたたきつける)のも気になった(笑)。
柴山:そうそう、ハードにガンガンやってるの、人間に見えてきて。押さえつけて痛めつけて。痛いなぁって…。
●青い線、新聞紙
真吉:私、ブルーの線(紙テープ)が…私は導線みたいに思って音が鳴ったら爆発するのかと想像しました。「ジリジリジリー!」って音が鳴ったんですよね。
けんじ:あれ、あの世とこの世の境界線かなってちょっと思ったんですよね。
数名:うんうん。
柴山:ああ…そうか。私は、人ってこうやって分断されるなぁって思っちゃった。いろんな分断があるから…。社会の分断の象徴として見た。
いしだま:私は、選べないのに勝手に分けられてしまう、8月は本当にたくさん想像されるけど、あっち側の人は死んでこっち側の人は死んでいる…行いとかその人の人間性とかどう生きたかとは全然関係なく唐突さみたいな、線を突然を引かれたような。

柴山:あ、その話で言えば、線とは関係ないんだけど、最初に高校野球の実況中継が流れたでしょう。
一同:あ~あ。
柴山:私の記憶の中で高校野球というのはお盆の時期で、野球の始まりだっけ終わりだっけ、サイレンが鳴るでしょう? あれ…別のものを思い出させるので、高校野球を持ってくるの上手いなぁと思って。
一同:うん。
ニノ:僕、前情報全然なくて、何で高校野球なんだろうなって思いながら見てたんですよ。あ、こういう主題があるんだなと思って、だから高校野球だったのかぁと後々。で、あれは何月何日の試合なんだろうなとか思って。そっか8月のああいう時期にやってるもんなぁと思って。前説の時に新聞の話(会場の前方の壁に新聞がつなぎ合わされ一枚の紙として=スクリーンの様に、貼り出されている)を若干されてたから、よく見ると新聞の記事も選ばれてる感じだなと。後ろに散らばっている新聞も。後から「あ~あ」というのはありました。
くぼ:新聞で「あ」と思ったのは、今ネットで情報が得られるから、一応家で新聞は取ってますけど私も全然読まないし、どちらかというと古い、古紙のイメージがついちゃってて…だから(前に)貼ってあるなぁぐらいしか思わなかった。だから「何日の」と言われて「新聞ってそうじゃん情報源じゃん」と。自分の認識がそうなっちゃっていることにびっくりして。装置として美術として貼ってるんだなとしてしか見なかったんで。美術ではあるんですけど、元々はそういう情報源なのに…そういう風に変わってしまっていたことに…。
柴山:そうか、じゃぁ今の10代20代はこういう新聞紙を見たときにまたちょっと受け取るものが違うのかもしれないね。私が入ってきた時に感じたこととは全く違うのかも。
ニノ:一番下の左側にちょろって出てるあれ(新聞)が…ちょうど…そういう話かと。一面が。
一同:あ~(何なに? 見たい…と口々に。向かうニノさん)
ニノ:山上の…
●忠臣蔵のハナシ
けんじ:だから見た瞬間、政治性のある話なのかなって、ちょっと。あと、忠臣蔵…あれ面白かった。どういうメッセージなんだろうと思ったんですけど忠臣蔵ってどっちとも正義だと思うんですよ、吉良上野介の方も向こうの方だとか、どっちとも正義と思っている。だから今の世界の情況もどっちとも正義と思っているということを象徴しているのかなと思いました。
柴山:どっちも正義なのかな?
けんじ:お互いがそう思っているということで。それをストーリーとして話す時に過度に一般化してめちゃくちゃ曖昧に言っていたのが…
りょう:忠臣蔵を語るとき、一人目はストーリーを語ったけど二人目は抽象化されて。「要は生き残ったのがー」みたいな。結構、どんな事件も傍から見たらそんなもんなんじゃないかと。結果として本人が注目する何か一つだけが印象的に残って、他がどうだったかは基本的に興味がない…その時は聞いていたかもしれないけど過ぎて説明してくださいと言われたらあんな感じになるんじゃないかなと。
柴山:忠臣蔵が(本作の中に)選ばれたのは、日本でも最も有名な仇討…だったからかな、ぐらいにしか思わなかったんだけど、あれを見ながらいつも思うのが、歌舞伎でも文楽でも簡単に自分の子どもの首を身代わりに差し出すとか、この前も芝居で切腹のシーンが出てきたんだけど…「痛いよ?」と。
一同:(笑)
柴山:忠臣蔵の最後も切腹、覚悟があるとかお涙頂戴とか…イヤイヤ待ってと。腕がちょっと切れただけでも痛いのに、と。その現実の痛さとか苦痛と比べてあまりにもきれいにまとめている…ものの代表が忠臣蔵かなとも思う。軽い、なと。
ニノ:忠臣蔵がテロの一つなんだなと思って取り上げられたんだなと。一人一人は死んでいって痛くし一つひとつはストーリーがあるはずなのに、他のたぶん僕たちが今「事件」として受け取っているようなテロも人数が数えられているけれど一人一人違う命の奪われ方があって、全体的に暴力的に命が奪われているって僕たちに投げかけてるんだなって。それが再話的に取り上げられていたじゃないですか。最初は関西弁のおじちゃんが話しているような感じで忠臣蔵の話を。それが再話した内容の感じで提示されるので、民間伝承みたいなストーリーになってしまって、一人一人の「痛いよ」は軽んじられるというか遠い話になってしまっていて、なんか死んじゃってるんだ、とか。でもお話としては勧善懲悪、高潔な武士たちは最後死んでいく…みたいな。とかを考えると、ストーリーと虚構、フィクションとかでそういうのがでーんと向こうに行っちゃって、生死というのはもう「あー」。でもこの舞台では、出てくるキャラクターの人たちが死んでいたり幽霊だったりと言われ方をして、舞台作品でよくあるけれど死んだ人も消えずにキャラクターとして残っていたりするじゃないですか、だから死んだ人が退場するわけじゃないのが見てていて「あ、死んだんだ」というのが心に残るなと今日の体験として思いました。

柴山:うんうん。ラストに具体的に数字が出てきたでしょう、ニノさんが言っている話のとおりの一方で、自分でも怖いと思ってしまうのが、「ガザで○千人亡くなりました」とか大きな数字に慣れてしまって、5とか4とか数字が小さいと、それが少ないと思っているわけではないんだけど…なんというか私が感じる衝撃が小さくなっていて…そういう感覚の麻痺ですね。だからニュースとしてしかとらえていないんだなとボーっと考えながら見てました。
いしだま:数字のカウントを取りながらドラムをたたいていたのが銃撃の音に聞こえて。生音で立体的に体に来るもので、しかもかなり大きい音でアタックがあるものでやられているというのがすごく…再生音と違う効果があると思っていて。これはちょっとテストしてみたいと思ってるんですけど今さっきみたいなシチュエーションを録音した打音でやるのと今日みたいな生音でやるのと、体感的に受け入れ方が違うのかやってみたいと思いました。私はすごい炸裂音が来た時にびくっとしてしまって、動物としての自分みたいなところに近寄られてしまって。ダダダダダと一緒に数字がダダダダダとなって死んでいく人が増えるという感覚が、やっている最中は言語化できなくて、やっぱり生音だったからかなと。
柴山:のひさんも先ほど「身体で感じた」とおっしゃっていたでしょう、それも同じですか?
●再び青い線について、時間、生まれ変わる幽霊たち
のひ:私の場合は話が戻りますけどさっきの青い線…は時間だなと思ったんです。今ここに演じられている物語とか物とかがいつの間にかうわッと入ってきてミックスされることで想像力が膨らむ。だからいろいろな音もちょっと本当の音と違うことで想像力が広がる。ちょっとずれてるから「これって何の音だろう?」とたぶん無意識に思ってて、それが逆に違う風景を連れてくる。そのことで自分のなかも体感的にぐわッと広がるんだけど、ちゃんと見せてくださるところがシーンとしてたくさんあるから、それがすごくいい感じで自分の中でまとまっていって。引っ張られたり離れたりっていう心地よい速度で60分不思議な現実ではない世界にいた感じがしました。
柴山:本当の音と違うって?
のひ:例えば鳥が出て来るじゃないですか、本当の鳥の音じゃないのに、ペットボトルで(水を)すくってぴしゃぴしゃってなった瞬間に、鳥の話も入ってきているのにその音も入ってくるので想像力がグワーッて広がっていくんですよ。でもストーリーがあるのでそれはやっぱり引っ張っていただくんで、一つの物語を見ている演劇とかフィクションよりも、頭のなかが…いろんな所に行ってそれがくっついた状態でこの作品を見ている。創造ができると思いました。
柴山:さきほどおっしゃってた時間っていうのは?
のひ:けっこうストーリーの中で古い時代の話から始まってけっこう今に向かっていく感じ、一つの時間軸が流れている感じがあって。あれ(線)が引かれた時に、幽霊、生と死とか、ここで物語られたいろいろなことが1つの境界となってうわっと感じたんですよね。
柴山:あ、あの線が時間を示しているってこと?
のひ:あらゆる、生きている中で今死ぬ人、生きている人…いろんな…意味で…この作品があの線で物語れた…
いしだま:かつて死んだ人の話が途中にあって、いま生きている人たちの前にいっぱいそいうのいましたよねと言われたのもその線だし。他にもいろいろな線がいっぱいあって、それらが一気にパッと見えた感じ。
のひ:そうそう。

ケンジ:線を切りましたよね、途中で。あれはどういう…? 幽霊って、あの線の真ん中にいるのかなって思いました。生と死とか、昔と今とか、今もいるけどいないみたいな、そんなイメージを抱きました。
のひ:線が今後どうなるんだろうと思って見てました。
一同:(笑)
柴山:あの、「300年もの間何度も何度も生まれ変わる」ってありましたけど、あれについてはどう思いました?
いしだま:地球が毎日毎日、終わるたんびに死んで生まれ変わるというののメタファーにもとれました。
テツ:具体的な300年の意味は分からないままなんですけど、演出上の話だと思うんですけど、新聞がね、これだけ多くスクリーンとなってその上に色んなものが投影されるんですよね。それとあちこちにぐちゃぐちゃになった新聞があって。新聞は毎日発行されるもので、いわばアーカイブなんですね、記録なんですけど、新聞って報道される情報の記録のされ方への批評というか。それを今日感じたんです。今日はほんと演劇というよりは一つの記録のやり方なんだなと思ったんです。言葉ももちろん俳優の方が喋ってましたけど、僕はもうそれは音にしか聞こえなかった。いろんな楽器の音、水の音、と一緒に言葉も音として在る。そういう記録の仕方。10年ずっとやられているというのはそういう意味合いかなと。もちろん。テーマとしては死者とか今ここにいない人に対しての、不在の者の語り方というか。それはやっぱり新聞に出てくる数字では語ることができない…ものが音として記録として残るという感じがすごくしました。…世の中に起きた出来事のアーカイブは新聞が代表されるものですけど、どうしてもそれでは思い起こせないモノがある…。
柴山:人が思い出すということが、何度も生まれ変わるということかなという気もしました。情報もそうだし人の記憶もそうだし…誰か故人を思い出すことだけじゃなく国を思うことや民族を思うでも故郷を思うでも…そういうそれでしか…私たちは生きている証ってありえないかなぁ…ってみんなの話を聞きながら思いました。
●キャストの皆さんに聞きたいこと

真吉:10年間、キャストは一緒なんですか?
今野:いや、変わってます。初演は、黒と白というポジションなんですけど、二人は別で。僕と松本さんだけがずっと一緒で。初演は4人だったんですけど、初めてツアー出る時に橋本さんがそこから参加して5人バージョンの黒と白をやったり、北海道の知床でこの5年間ずっとやってるんですけどそこから絵を描いてる黒木さんが登場したり。結構変わってます。菊澤さんって僕の友達も一回出て黒の役をやって、それは畑の上だったんでヘトヘトになってました。
橋本:黒と白と幽霊たち専用のアカウントがXにあって、そこに初演から一個前の知床での公演のキャストがどういう所でやったかという写真をアーカイブで見れるので…よかったら見てください。
今野:(橋本さんが)頑張って作ってから。黒白のホームページもあるから。
いしだま:テキスト自体は変えてないですか?
今野:変えてない…と思いますね。初演でやったもの…これちょうどその時誘われて一週間もない感じで作ったんですよ。その時に自分の中にドバっとたまっていた物を、最初インタビューしたんですよ、最初出演してくれた女性二人に、それで答えたのが(あのテキスト)。
一同:(笑)。
今野:とにかく蓄積させて、ドバっと。まぁ編集はかけていくみたいな感じで。一気に書いたのを覚えています。でも上演の記憶の方が残っててどうやって書いたのか覚えてないです。
もってぃ:上演のたびにテキストを組み替えるとかもしてないんですか?
今野:ああ、してます。土地に合わせて変えてます。
坂崎:最初の、二人が喋っているところで、「今日は昭和20年、ここは」「海だった」って言うのを、知床とかだったらその場所の何年に何があったっていうのを話すシーンになったりとか。
今野:そうすね、やる場所が決まってその土地がどういう風に使われてきたかとか建物の前が何だったかをツアーごとに聞いてます。
もってぃ:じゃあ、実際にここが倉庫だったってことなんですか。
今野:そう、で、海だったと。初めて埋め立て地の上でやった。
一同:(笑)。
今野:逆に(次にやる熊本の)早川倉庫はものすごい歴史があるから、相当前からあるなぁ…って。その場所も使われ方が変わって、ライブハウスだったけど前は鉄工所だったとか。北海道も5年くらい「葦の芸術原野祭」っていうのを僕らやってるんですけど、そこの建物ももう98年ぐらい経っていて昔図書館だったんですよ、でその前が役場庁舎だったんですけど、100年ぐらいの歴史があるんで、となるとお年寄りがきたら「図書館だった」「そうだよなぁ」「役場庁舎だった」「俺は知ってるよ」みたいな。記憶に触れに行ってるんですよ。
一同:あ~!
ニノ:衣裳さんはこれは?
今野:今回は告鍬(つげくわ)くんという熊本の友達が。基本的に今回用に作って送ってもらっているので。毎回けっこう舞台衣装は違ってて。
一同:へぇ~!
今野:割と今回が…劇場でやることが少ないんですよ、となるとちょっと服でも何かを起こさないと空間に変に日常っぽく埋もれちゃうんで。ちょっとお客さんと劇場を媒介する状態を作るために衣装を持ち込まれた方がいいということで。金沢の21世紀美術館でやったときがこれくらいのホールだったんですけど、その時から告鍬くんに衣装を頼んで。こういう場所でやるとき様なんです。
ニノ:可愛くて欲しいなって。(すぐにインスタを探すニノさん)
今野:告鍬君のカテジナってブランドなんですけど、熊本住んでます。元々東京の舞台で知り合った子で地元の熊本に帰って子育てしながら地元の仲間とイベントしたりしてます。
柴山:ありがとうございます。残念ですが、そろそろ時間ですのでここで終わりたいと思います。

