2025年12月7日(日)15:00~16:30 @久留米シティプラザ スタジオ3
対象作品:『わかろうとはおもっているけど』贅沢貧乏(作・演出:山田由梨、音楽:金光佑実、出演:大場みなみ、山本雅幸、佐久間麻由、大竹このみ、青山祥子)
*2016年から福岡、小倉、久留米などにおいて不定期に「シアターカフェ」を開催してきた。シアターカフェとは、観劇した後に有志の観客(10名程度)でお茶を飲みながら、見たばかりの作品について語るというものだ。作品の役者・劇作家・演出家が参加してくれることも多く、毎回かなりの盛り上がりを見せる。
*今回は、久留米シティプラザの「知る/みる/考える 私たちの劇場シリーズ」の『わかろうとおもっているけど』を対象に12名の参加者とたっぷりと作品について語り合った。久留米でのシアターカフェはもう6回目だろうか、おかげで常連さんもできてきて、見るだけでなく考えて語り合うことを楽しんでくださる仲間が増えたことが嬉しい(ただ、参加者の一人が言っていたように、開催地である久留米の参加者が少ない…)。今回のテーマは、「ジェンダー」「他者と理解し合うこと」。とっつきやすいテーマでもあり、話しやすかったように思う。

*今回は割と発言をそのまま掲載しています。(いくつかカットしたところもあります、ご了承ください)長いですが、お楽しみください…!
最初に一言ずつ…
みぃ:昨日見て1日経っての感想です。出産して育てるというのがあまり良く捉えられていない感じです。昔は「子育てなんて簡単よ!」「ポンと産めばいいのよ!」とよく言われましたけど、現在は「命がけよ」「死ぬかもしれない」「すっごい痛いよ」「子育てもうまくいくか分からないしお金もかかるし」というマイナスイメージが多い。だから男性が「あなた産める?」と言われたらすぐに答えられないのではないかと思いました。
明子:妊娠や出産をきっかけに女の人の戸惑いや男性の暴力性がずっと語られて、「性役割」「DV」など直接的な表現が多いなと思いながら見てました。最後、逆転した形での芝居の展開があって、なぜ急に逆転したんだろう? 男性側の困惑が出てきて、モヤモヤしています。メッセージが伝わりにくい…女性の話かと思っていたら違う話が最後だけ出てきて分かりづらいと思ったのが正直なところです。
井上:どう解釈したらいいのかという点で言えば、カップルが抱き合うシーンが2回ありましたが、最初は妊娠を男性側が喜ぶシーンなんですけど、あの時のハグは無責任…というか妻がこれから出産をむかえることに向き合ってない、無理やりどうにかするというように見えたんですが、2回目の「妊娠する性」が逆転した後の抱擁は割とポジティブなメッセージを私たちに伝えるような気がして。そのような解釈がどうして生まれたのかが気になって。これは私の見方ですが、どうしてこうも違った解釈になるのかについて考えたいテーマだと思いました。
あひる:難しいテーマだと思いました。女性の苦悩が描かれるのかと思っていたんですが、双方に抱えるものがあるんだなということと…強く思ったのが「どっちも妊娠すればいいのに」ということで(笑)。男性が妊娠できる…子作りに置いてどっちが妊娠するか分からないというシステムになっていたらいいなと思いました。
あひる2:お芝居は生で見るのが学生以来30年振りです。明子さんと同じで、逆転したところがどういうメッセージなのか分からなくて。
テツ:逆転をしたところ…体が入れ替わるという、「動かしがたいもの」が変わるという展開が面白かった。それからメイドさんの存在も気になりました。
よっちゃん:「わかろうと思っているけれど」というタイトルが気になって来ました。新聞の広告に「わからなくても語り合う大切さを考える」、そういう中で…メイドさんの役割、逆転した意味、全く分からない。でもわからないからこそ今日ここに参加しました。疑問ばかりですね。
よしえ:間がたくさんあるお芝居で、言いたいのに言えないことがあるのだなというのが第一印象です。間合いの多さと『わかろうとはおもっているけど』というタイトルが象徴的で、「わかりあおう」でも「わかるよ」でもなく「わかろうとは思っているけど」のあとの「・・・」みたいな。ここが印象に残った点です。
とく:演劇を見るのが13年振りで皆さんの反応への興味で参加しました。メイドさんや女性、それぞれの立場と役割の中で、個人が見えなくなってしまう事が日常の中でよく考えています。それと今日のような演劇を見て男性がどう考えるのかも聞いてみたいです。
えみ:自分自身は「子どもができて嬉しい」と疑問にも感じずに来たんですけど、命の誕生自体は祝福されるべきものだと思いますけどそういう考え自体が当事者を苦しめる部分もあるのかなと…。それと「わかろうとは思っているけど」自分の中では完全に呑み込めないことがあるんだろうなと、ぼんやりと…。最初、ポテトチップスを食べるシーンが…とてもいやで(笑)…あの、指を舐めるのが…
全員:あ~あ!
えみ:あれにも意味が…あるのかな…と嫌悪感を抱かせようとしてるのかと。私は箸で食べます。
らんらん:メイドさん、200年前のメイドさんと今を生きるメイドさん、その二人が、200年前からの変化をずっと想起させる、という作品で。最後の場面で男女が変わるとどうなるんだろう、同じセリフなのに役割が変わるとどうなるのだろうというのが考えさせられて、良いお芝居を見させたもらったと思いました。
ツリー:最初は私も逆転シーンが気になっていたんですけど、皆さんの話を聞きながらだんだん頭に浮かんできたのは髪型です。ピュッとなった人が最初から出てきていて、親友役の人はピピって両方に上がってて、最後はぐしゃぐしゃってなって。そうされたのは性格を表わしてるのかなと。ぐしゃぐしゃになったことを気にしていたので。それともう一つはテーブルの下を開けるとコウちゃんが積み木をやってたり、テルちゃんが胎児のように横たわっていたりしましたが、ちょっとその場から逃げて子どものように遊んで気持ちを整えたり…あの場は何だったんだろうというのが頭をぐるぐるしています。
柴山:作品のチラシを見たときにまず、このメイドさんのマゲは男性の象徴かなと思いました。劇中でそれが曲げられてしまうのは、意味があるだろうと思っています。もう一つ、最後にリンゴをかじるシーンで終わりますが、アダムとイブがリンゴをかじることによって、良きにつけ悪しきにつけ世界(目が)が開けていくというという意味で、リンゴというのはここからの変化を示唆していると思いました。それがどう変わるかという解釈は人それぞれですけど。ただそれは表層的なことですね。
女性が妊娠することでの動揺や葛藤という話が1つにあります。でもそれとは別に、半分レイプだと彼女が思ってしまった、その時による妊娠だったということ、それはまた単なる妊娠への恐れや躊躇というものとは別にするべきだと考えました。彼女も、もしそんな状況でなければ、妊娠や出産が怖くても歩み寄って話し合えたかもしれない。この二つは議論を分けて考えないといけないかと思っています。「妊娠」への男女の理解の差と、性暴力の話を一緒には論じられないかなと。
それと井上さんの話を聞いて実は私は逆のことを思いました。2回目のハグの方が「はいはい、もう話を終わりにしよう」という印象を受けました。あれは男側の立場になったテルちゃんが「ハグしよう」と言ったんでしたよね、私は1回目の方はけっこうどうでもよくて印象に残っていないんですが2回目のハグは、「ああこうやって終わりにすることってよくあるよな」と受け取りました。この受け取り方の違いは、千差万別なのか、言い方に躊躇しますが男女差なのか…分かりませんが。
ツリー:私も2回目の方がおざなりというか、テキトーに…あまりいい感じには…。
みぃ:1回目、2回目とどっちがどうと思ってなかったけど、「あ、ここでハグが来るんだ」と思った。というのは「お互い好き合ってるからいいじゃんこの問題は」みたいな感じのハグ、これ以上話し合うのはやめにしよう、問題がこじれて悪化しないためにと。だからそれは違うよねという感じがしました。

メイドについて
柴山:お芝居の中で、まずメイドの存在はなんでしょう?
よしえ:「こうしなきゃいけない」という規範の象徴。正直、開演前にメイドさんが客席の間を歩いていて、「わ、始まったんだ」というワクワクよりも緊張感を呼んだなと。あの方たちがきれいに(客席に置かれている)パンフレットを整えたりゴミを拾ったり、なごむよりも緊張感。規律とか規範、を少し感じました。こうしなければならない、これは喜ぶべきだ、とか。お互いの間にそんな圧を呼んでいるような。もちろん後半はそれが崩れていくんですけど。
みぃ:私、遅れて駆け込んだんですね。そしたら会場の観客から「今メイドさんがいるから静かにしなさい」と言われたんですよ。観客が主体的に私に声をかけるような圧があったんだなと。
らんらん:3つのセリフ、なんでしたっけ? 「壁にあるほうきのような」と…
えみ:「生けたことを忘れるような花」
あひる:「遠くの灯のように」
らんらん:それが、人だけど人格じゃないものを感じて。規範意識、女性の扱い方、メイドという仕事の扱い方を感じました。200年前は確かに。女性全般にも関わる…だからメイドの仕事を女性がやっていた。
柴山:メイドたちのことが「見える」という仕掛け…、あれの意味はなんでしょう? 途中から彼が「いるよね?」と言うけど、あれは途中から彼自身が「気づく」ということの象徴かな…とか、でも単純?
えみ:メイドさんがいるのに、食事の心配を最初してて。テルちゃんが作る感じ…なんだけど最後の方はメイドさんが作っていて。だから(メイドは)テルさんの意識なのかな、と思いました。

柴山:じゃぁ、ラストシーンでメイドさんとコウちゃんとテルちゃんの友達のメイが食事をしていて、テルだけがテーブルの下でうずくまって寝ている…あれは何でしょうね? メイドさんがテルの意識だとしたら、一見して穏やかに食べているけど本当の気持ちは…という感じ?
みぃ:本当の自分は机の下で、食べているのは女性の規範意識、現在と昔のを併せ持った、ではないかな、
井上:対話をしていたので、実際にそこにいるけど、自分の中で社会規範であったりいろんな社会の声であったり、自分の中で会話をしてしまっている…幻影みたいなものがあるのかという気がしましたね。
柴山:コウちゃんが最初に気づいたんですよね、だから最初にコウちゃんが「変化」のきっかけを作る…?
井上:規範を自覚するプロセスとして「いるよね」と言わせるというのは面白い解釈だと思いますが、それよりもむしろ二人の場、あれは家庭・社会から切り離されたプライベートな空間なはずなんだけど、誰かの眼を気にして私たちってコミュニケーションをしているみたいなその意味合いもあるのかなと。
らんらん:メイドの役割が?
井上:そう、それが後半、メイさんもいるという話になると思うんですけど。
よしえ:前半はコウちゃん(男性)が本当に「いるよね?」と明確に気づく。でもしょっぱなはまるでいないかのように二人ともふるまっている。みんなの話を聞きながら、そういえばどこから「いるのが当たり前」になったんだろうと。だから私も見えてないのかなと思いながら見てた。
ツリー:最初はささやくぐらいの声なのに、あの後から(はっきりと話す)。
よしえ:メイドはそんな存在じゃないといけないというのもあるかもしれないけど、反面、本当に最初から見えていたのかな?と。
柴山:演劇的な仕掛けなのか、どっちなのかということですよね?
あきこ:でも最初からテルさんは気づいていますよね。コウさんは後から気づくけど、テルさんはそれを内面化していて、常に規範に従って生きているという…
柴山:テルさんは最初から気づいていた?
あきこ:たぶん。そういう場面がない。
よしえ:いて当たり前、みたいな。
柴山:「現代のメイド」がいる理由は何でしょう? 200年前のメイドとの比較の点では意味はあるんですけど、現代のメイドという感覚が、現代日本においてはあまりピンと来なくて。これはメイド同士の対比としてなのか、いや現代の女性の立場の反映としてやはり「現代の」メイドを置く(芝居上で設定する)必要があったのか。現代のメイド…今でも女性たちはそうなのでしょうか。
みぃ:NHKの朝ドラ『ばけばけ』ってご存知ですか? 女中さんという形で出てくるんですけど、それからすると結婚して妻となると女中さん的な役割を期待されている、それを昔の女性として、妻としてあるべき姿と今のあるべき姿がずいぶん違ってきているから、そこにゆれ動きがある。
理解するということ 立場が変わると
井上:現代的なメイドさんについて気になったのは、コウちゃんの悩みも私は分かりますと言うシーンで、現在の不安定な男性性を慰撫するようなセリフを言うというのが、どう捉えたらいいのかと思って。古典的な役割観で縛られている一人目の人とそうでない現代的なメイドで言うと、メイさんはわかりやすくフェミニズム的価値を体現している人として出てくるという感じがして。だから規範としての装置は二人であり三人であるという。メイさんも含めてという気がしています。
柴山:現代のメイドさんは、コウちゃんの何がわかると言っているのでしょうか。
井上:なんでしょうね…ハグの意味のこと、私がなぜそう思いたかったのかということと関係あるかもしれません。私はこの作品を前にVTRで見ていてその時は女性の身体性の問題とか性暴力とか苦しさ、生きづらさがいかにわかられないのかということを、ある意味直接的な表現で言われているという感じがして。今日は、現代において男性が女性と親密な関係を築いていくということの難しさも現れているような気がして。
あきこ:言ってくれないと分からないとか。
井上:んー、そこまで甘やかさないといけないのかという問題はあると思うんですけど(笑)、男性の方の関係の構築の難しさみたいなものを、入れ替わったテルが演じているような感じもして。そこのハグも同じ意味で、男ってやっぱりそうだよねと受け取りたくなかったということもあって希望的に見ちゃった、見えたということかもしれません。

柴山:私も「男性ってこうだよね」と言いたくないんですよね。だから、コウちゃんの立場になったテルも反転にすぎない…男性だからではなく、そのやり取りのいびつさ、そこに気づかせる仕掛けだと思います。とはいえ、一回目のハグを何とも思わずに見ちゃったのは、それは私が女性自認のある女性だからスルーしてしまったのかもしれません。実際、この作品は女性の側だけの話として見てはいけないと思っています。妊娠や性暴力の話はあちこちの巷で語られ始めているし、語りつくすべきだろうと思います。が、一方でコウちゃんが投げ出したくなっていると思うんですよね。踏みとどまれないというか。例えば「好きな人の子供を妊娠したら嬉しいはずだろ、何で喜ばないんだよ」と言っちゃうとか。単純に自分本位でストレートに物を言っちゃう、考え無しに言葉を投げちゃう。昔の男性はそれが強すぎてやりすぎて問題だったわけだけど、現在はそれが問題視されていることがわかっていて、だから普段は抑え込んでいる。「でも正論だろ、みんなそう思ってるでしょ」といった考えがやっぱりあってそれを抑え込むことをやめたくなる。これは女性も同じですよね。めんどくさくなると思っちゃう、言っちゃう。コミュニケーションにおける難しさを思いました。
らんらん:女性が外で働いていて男性が主夫をしていたカップルの友達がいて、その女性の友達が退職した時に家庭において自分の居場所がないと言ったんですね。今男性が置かれている状況を女性が担った場合も同じになるんだなと思って。逆転した最後の場面はそれを表わしているのかなと思いました。保育士をしているんですけど小さい子どもが泣いた時に黙らせようと思っているわけじゃないけれど、とりあえずハグして
一同:ああ(笑)
らんらん:ヨシヨシしますよね。寄り添うつもりでやってるけど、どうなんだろうと感じますよね、とりあえず落ち着かせる…女性も子どもに対してやるなと。力の関係なのかな。
柴山:さっきのコミュニケーションの話でもそうなんですけど、それが1回なら問題ないかもしれないですよね。とりあえずのハグにしても、正直な気持ちの吐露にしても。でもそれが常態化する、それでいいんだと思うと問題になる。積み重なって当然となっていくことが問題となるのではないかと…。
性役割と理解について

柴山:産める性が選べるといいな問題(笑)について。
あひる:隣のお家は旦那さんが妊娠したらしいよ!とか。
一同:(笑)
柴山:私も言いましたもんね、夫にあなたが産めるなら産んでくれる?って(笑)。
らんらん:でもおっぱいがあるから有利だもんね、お母さん。哺乳瓶があっても赤ちゃんはおっぱいに来る。
井上:でも産めるようになったら男性もおっぱいができるようになるかも。
一同:うんうん(笑)
えみ:私は母乳が本当に出なくて、でも来てましたよ。だから生まれた時からの…鳥が…
柴山:インプリンティング。
井上:初めて見た人に懐く(笑)。
えみ:そう。でも今の若い人は、どっちがというのではなく一緒に育てている気が。それが素敵だなと思います。今40代なんですけど、自分がそのはざまにいるのが心苦しい感じが…。若い人から見たら「何言ってんの、この人?」となるよねと。若い人は普通に「一緒にしよう」となっていることが、全然…。
柴山:この前、男2女2の4人だけの同窓会をやったんですけど、出産の話になったんですね。女友達が帝王切開だったと言うと、一人の男友達が「だからこいつは産んでないのと一緒だよ」と言い放ちまして、「いや、何言ってんの」と注意しましたが…50代、こんな典型的な問題発言をするんだとビックリしました。今の若い人はそんなことはないんですかね? 世代論にしてはいけないけれど。
えみ:世代論にしてはいけないんでしょうけど…皆さんの持っている意識は…。
らんらん:でも若いけど「だんなさま」と…そういう書き方する人もまだまだいます。
みぃ:最近はだっこひもでだっこしている男性が増えた。そして男性トイレにもおむつ替えスペースが増えている。10数年前は男性がおむつ替えしても「ウンチはちょっと」という人がいましたけど、今はそうでなくなってきているかなと思いました。
柴山:メイドさんが「そうじゃない男性もいるんですよ」と言うシーンがありましたけど、そう言いたい男性はたくさんいるんじゃないかなと思ったんですよ。ひどい男という仮想敵を自分に当てはめてくれるなと。「男はこうだよね」の決めつけは、それまで女性が苦しんできたことの反転にすぎないですもんね。
私、男女の話って、ずるいかずるくないかの個人の問題じゃないかという気もしてるんです。男と女の話、役割の話というよりも、実はずるいから相手にやらせる、ずるいから自分の思うがままにふるまう、ずるいから「男だから、女だから」という口実に頼っちゃう。本当はもっとそのことを認めると話はスムーズかもしれないという気もしてます。その方が今後は語り合えるのではないか。そんな単純じゃないかもしれないですけどね。
よしえ:タイトルの「わかろうとはおもっているけど」の「けど」って何だよ!と。ここにずるさみたいなものを感じますよね。そこを指摘しているタイトルかも。元々このタイトルに引っ掛かってたので。

よっちゃん:夫婦であっても性格もあるし、いっつも喧嘩してます。子どもがいたから気にならなかったことが夫婦二人になったら気になって嫌になる。だからこのタイトル「わかろうとはおもっているけど」が気になった。
動物としての、人間
よっちゃん:人間って動物ですよね。でも私は動物ではない。そこが気になったところです。普通の動物は誰でも性交する。でも人間は理性をもって考える。最後の「私は動物じゃない」と叫んだのが印象的でした。人間って、考える力を持っていますよね、だから理性がある。動物に理性ってあるんですかね…? 動物は発情期があるけど人間は365日発情する、だから男女共同参画の話の中で、「同意」という話が出てくる。あれはどういうこと? 「同意」…どこまでが同意? 「私同意しないから今日やめます」とかって言えるかなと。

みぃ:同意するかどうかは、学校では同意するかしないかを必ず言いましょうとなっています。付き合い始めてそういう関係を持つ場合は、「する/しない」をはっきりさせる。相手から「しない」と言われたらしないようにしないとあなた犯罪者になりますよと。今からの20代などはそうやっているはずです。
柴山:アプリも出ましたよね、数年前にニュースで見ましたよ。性同意アプリ。
あきこ:言葉では表現しにくいからアプリを使って表現するということですか。
柴山:したくない、やめてと言いたい時には使えるけど、空気を読んでの同意とか、後から事情が変わったのに同意したじゃないかとか…難しいですよね。せっかくいい雰囲気だったのに台無しになるとか…。
井上:動物、理性の話になっていますが、理性と言うより身体性の話かなと思っています。身体と関連付けて否応なく考えなくてはならなくなることを拒否したい、と感じた。ホルモンのせいでどうにかなる理解をさしはさみたくないということもあるのかなと。身体のせいにする、というか身体の変化によって気持ちが変化するということの両義性がある気がして、自分を守るために「ホルモンの問題」「身体が変わったから仕方ない」という考えもあるんですけど、「身体と関連付けて自分を理解する」というそれ自体を拒否したいと。それが逃れられない性役割を、刻印されたものだからこそ身体を引き受けられないと見えたんですよね。動物か、と言うのは理性と言うより身体の話だと。
柴山:身体/感情や理性は切り離せないと言っているんですか、切り離したいと?
井上:どうなんでしょう?
みぃ:産むのは女性しかいないから仕方ない、つべこべ言っても仕方ないだろと一言で片づけられるのはちょっと違うよねって意味で動物じゃない。

井上:そうかも。よく言うのは、オスかメスかで人間を考えるけど種の違いの方がもっと大きいじゃないかというのもあるので、動物として捉えてオスメスと言うこととは違うという印象かもしれません。それもそうだなとは思います。言おうとした事はちょっと違うんですけど。「動物」という言葉は、妊娠する身体という関連で出てきているのかと。それがどういう意味かというのはよく分かりませんが…。
柴山:あ、では井上さんがおっしゃりたいのは、「妊娠する身体」は(ある種)動物的になっていく、それに対するテルさんの怖さ、ってことですか?
井上:うん、セリフではそう直接的に言ってたんじゃないかと。
一同:あーあ。
あきこ:私もそういう印象でした。
よしえ:私は妊娠・出産の経験がないので、動物として、生理としてどうしようもないわけじゃないですか。でもそれに対する抵抗とか…無駄な抵抗なんですけど、言ってもしょうがないんだけど、それこそ「なんで女しか産めないんだよ!」という。
あひる:「子を孕んだ」ということが動物的な印象があって、テルさんの混乱がその言葉に入っていたのかなと思いました。
柴山:確かに。…でも、妊娠以外に、人間の身体って動物なんだなって感じたことはありません?
井上:食とか排泄とかもそう。
柴山:妊娠で「動物的な存在に変化する」の恐れというのもあるんですけど…。…所詮は身体、所詮は動物…「物」ということを思う体験があって。先日胃の検査をしたんですが、麻酔を打たれた瞬間に意識がなくなって気づくと終わってました。その時に、どんなに意識を保とうとしても所詮この体も「物」でしかないと思ったんですね。妊娠の時もそうでしたけど…例えば生理にしてもコントロールできるものではない。それ以外でも病気もそうだし、触られるとその気になるということもある。…つまり私たちは「動物であるにもかかわらず、動物であることを認めてこなかった」ということがあるんじゃないかと。妊娠への恐れや変わっていく自分への不安と言うのも分かるんですけど、その一方で動物としての人間ということを私たちは忘れているんだなと考えました。
テルとコウの逆転の意味
あきこ:モヤモヤしていたところが解決できてないのでいいですか。逆転のシーンは、変わって初めて言えたとるのか。私は(テルが)テーブルの下に隠れているのは自分が透明になって、出てきてリンゴを食べたんで子どもを産むことを受け入れて産んだのかなと思ったんですよね。逆転しないと言えなかったのかなと思っていたんですけど、さっきの井上さんの話だと、男性がやっていく難しさとか親密な関係を築くときの難しさとかそういうのもあるのかなとか…どういう解釈をしたらいいのかなと。最後の解釈が難しいなと。
みぃ:正直、どうして逆転したのか分からないです。なんで? 逆転ってどういう意味? 女性からむりやり関係になって妊娠したの? それは男性にとって、自分の子を愛せなくなるほどのこと? って。
えみ:それもあるとは思います。したくなくても身体は反応するから。そういうことを言いたかったのかは分からないですが。

らんらん:不妊治療とかね。
数名:あ~あ。
みぃ:この日しか、この日が一番いいのよ、みたいな。
よっちゃん:男女共同参画のセミナーでも、圧倒的に女性の不同意性交も多いけど、男性も一部ある。この逆転というのは、一方的なものだけじゃ社会に訴えられない、両方を皆さん考えましょうよと訴えたかったのかなと思いました。でも、「謝るな!」としきりに言うメイさんが最後に逆転したらコウさんの味方になる。うーん。
あきこ:テルさんが男の人にならないと言えなかったのかなと。それだけ決定的なことは男性にならないと言えない、女性の弱さを訴えている、女性の被害者性を言いたかったのかなと思ったんですけど、違う意見が出たので、男性の立場、お互いに歩み寄って分かりあおうというメッセージ性が込められていたのかなと。でも最後、リンゴ食べたから引き受けたのかなと思いました。
あひる:私もどっちなの?と思ったんです、最初は同意できなかったのはテルさんだと思ったんですけど、あそこで逆転して同意してなかったのはコウちゃんだったの?って。どっちがホントって思ったけど、最終的にはどっちが本当とかじゃなくてどっちの場合もありうるんだよって受け取ったらいいんだと思いました。
柴山:立場が変われば見えてくるものも変わりますよね。「不妊治療」という言葉が出て来ましたが、そういうことを私は全然考えませんでした。私は単純に演劇的な仕掛けだとして見ていたので。
らんらん:でも望まない妊娠ということであれば圧倒的に女性が…。40代の中絶が多い、それは夫婦間での望まない妊娠が多いんですよね。それも田舎の方が。
みぃ:個人的には望んでしたかどうか、いつのタイミングで授かったのかはわからなくても問題なくって、本当にしたい時だけ、なんて言っていたら子どもなんてできないって思っていて。
ツリー:でも劇見た感じだと、産んだとしても抱いてる時に「この子はしたくない時に授かったんだよな」って思っちゃうかも…という余韻はあって。
えみ:そう思うと切ない…
ツリー:だから迷いがあるのかなと思った…それと別の場面のセリフなんですけど、あんなに愛し合ってとか言ってるくせに「それおれの子だよね?」と言ったのが印象に残ってて。男の人って結局これなんだなって…。
らんらん:確信がない。
ツリー:女性は間違いなくここ(お腹)にいるから…
柴山:でもコウちゃんの立場で言えばあのセリフに関しては同情の余地があるというか、だって明らかに喜んでないから「俺の子なんだよね、喜んでいいのに、なんで?」という感じだったんじゃないかと。もちろん別の文脈だったら違いますけど。単純に「よ、喜んでないの?」という戸惑いの一言かと。どうです、男性陣?
男性一同:・・・
女性一同:(笑)

らんらん:でもあの時はテルさんも迷ってたから、私も同じように…。突き飛ばしてくれたからホッとしました。
みぃ:「俺の子問題」ですけど、男性としては自分の子じゃないのに、出産も子育ても出費があるじゃないですか、だからまずはそこを確認したいんじゃないかと(笑)。
井上:「俺の子か」と聞くより、「あなたの子です」と言われる方が衝撃かもしれない。突然、「あなたの子です」とやってくる方が…難しい局面となるような…(笑)。
<演出家の山田由梨さんとコウちゃん役の山本雅幸さんに一言いただく>

山田:嬉しかったです。視点が…思ってもみなかったけど、そう取れるのかと…観劇ってコミュニケーションなので、そういう風に受け取ってもらって皆さんの中で完成するのでありがとうございました。
らんらん:フランス公演との観客の違いは?
山田:フランスではコウちゃん役が「家の掃除もしてくれたよね」とのセリフの時に爆笑が起きて、何この幼稚な男って。中学生の男の子に「わざと男性を幼稚に書いてるの?」っていうぐらいコウちゃん役への風当たりが強くて。でも6年前(の初演)にはなかったんですけど東京でも「コロッケ食べたい」のところでも「何言ってんのこの男」って。6年前は全然そんなことなかったんですけど、初日からコウちゃんがヤバいやつという見方をされて、洋服を持って来てもらってもありがとうを言わない、お茶も当然出てくると思ってる、そういうのが6年前は普通に受け入れられていたのに今年は失笑され続ける。それが6年の差かと思って。
山本:コウちゃんへの風当たりが強い…。
山田:後半の逆転で、昨日は笑いがすごく出て。コウちゃんが「マタニティブルーって言わないで」と言うとか「半年とか1年休んだら」と言われてることに対してうっぷんが晴れたというかと。長崎から来たお客さんは「爆笑だよ」と。「半年、一年休んだら」ってことも、同じことを言われる女性はどこか当たり前のように思われるけど、男性が言われたら「大変だよね」と思われる、その差は何だろうとか。逆転のところで「つべこべ言わずに性役割を果たせよって感じ」って時に男性はかわいそうと思われるけど女性はそうでないならそれは性差別だし、それぞれの会場で受け入れ方が違いました。

*というところで時間切れ…まだまだ話足りない人は次の場所へ移動。みなさん、ご参加ありがとうございました。
