秦かよこさん(脚本家・俳優/ペッツ)
*「座”K2T3」時代から舞台の上で秦さんを見てきた。最初に見たころからかなり年月(ひょっとして20年近く前!?)が経っているはずなのだけれど…秦さんって変わらない。私の中で舞台の上の秦さんは、飄々とした顔で何かをやってあっち向いてペロッと舌を出しているイメージ。ご本人はしっかり者といたずら小僧が同居しているような人かなぁと思いながら見ていた。今回、初めてゆっくりお話したのだけれど、思った以上にふんわりとしていて可愛らしくて、「ペッツ」での振り切った姿とのギャップが激しい…(笑)。そして「座”K2T3」のチラシデザインを秦さんがやっていたと知って(絵がとても上手!)多才な人だと感心も。…うん、スルメのような人かもしれません。噛めば噛むほど…ね。(インタビューでもスルメ要素が垣間見えるはず。彼女の理知的で真面目な部分と、「へ?」という部分…なにしろ東京公演の感想が…それ?)噛みながら、お読みください。

インタビュー
柴山:どういうきっかけでお芝居をされたんですか。
秦:学芸会だったと思うんですね。カエル1的な。小学校の時は演劇クラブがあったんだけどジャンケンで負けてサッカー・水泳クラブに入った。中学で文化祭に有志でやったのがちゃんとお芝居をやった最初です。
柴山:では役者さんがしたかったんですね。元々のきっかけは? 『ガラスの仮面』を読んでたとか。
秦:それもあると思います。後は、小学生の時って教科書を読まされたりするじゃないですか、それも好きだったし。読み聞かせの本を聞くのも好きだったと思いますね。演劇っぽさといったら『ガラスの仮面』が影響してますね。今見ると設定ひどいんですけどね(笑)、あと北島マヤ、役者として問題あるなと思うところ多いし、北島マヤさんと一緒に舞台に立てないわ(笑)。
柴山:月影先生がこわいですよね。では書くより役者さんがやりたかったんですね。
秦:今思い出しました。中学の時は、身近に演劇をやっている人がいなかったから脚本がどこにあるかも知らなかったからか、ありものの物語を脚色しました。著作権とか何も考えていなかった(笑)。
柴山:高校は?
秦:演劇部です。後藤香さんがいた高校。私が入った時には後藤さんはもう卒業していたんですけど。後藤さんの妹さんが私の1個上の学年にいて、お姉ちゃんがいるというのは知ってましたけど後藤さんとは認識していなかった。大学は長崎で、演劇サークルに入ってて。
柴山:大学でやっていた演劇はどんなものだったんですか。
秦:もろ、当時ですよ。第三舞台や野田秀樹。自てキン(自転車キンクリート)とか遊◎機械/全自動シアターとか、その辺が流行っていた時期で。大学ではオリジナル戯曲を書く方がいなかったんですよ。夏と冬の定期公演がメインで活動していて、公演ごとに皆でやりたい戯曲を持ち寄って、毎回立候補制で演出を決めて。演出が決まったらオーディションで役者を決めて、という感じでやってました。
学校の講堂を当時は…本当はダメだったのかもしれないけど…かなり自由に使えたし、部室は24時間出入り自由だったので特に公演前は昼も夜もないくらい活動していました。
周年記念で外部公演をすることになって長崎のNBCビデオホールでの公演をしたのも印象に残ってます。ホールの大人たちとの交渉にどきどきしました。
ほかにも先輩方とのつながりで地元の劇団の方々との交流も広がっていったり、どんどん演劇にハマりました。卒業前にその演劇サークルのOBも現役も入り混じった有志でユニットを作って野田秀樹さんの『少年狩り』を上演したのは特に、参加者皆それぞれのポジションでやりたいことを思う存分追及している感じで充実していました。楽しかった。
1年間社会人を(長崎で)やっている間お芝居をやらなくて、やっぱりやりたい気持ちがすごいありました。その後24の時に福岡に越してきたんですよ。博多駅を歩いていたらマコさん(後藤さんの妹)にばったり会ってK2(座“K2T3)のチケットを売りつけられて(笑)。作品は『Kingyo』でした。
柴山:『Kingyo』はどう思われました?
秦:お芝居の内容以前の話で申し訳ないんですが、これが福岡で観た初めてのお芝居で…中洲のどこかのビルの一角を劇場として使っていて…福岡ではホールみたいないかにも劇場!って感じの場所じゃなくてもお芝居ができる場所があるのかとすごく驚いたのがとにかく印象的です。
あと額にペンで「パ」って書くという独特のメイクをした役者さんのインパクトがすごかったです。あとからそれがささもとさんだとわかりました。
それからしばらくして、『ルナのビー玉』って公演で、工藤さんがお仕事の都合で半分しか出られないからダブルキャストでどうかと声がかかって。最初は劇団員ではない形で出させてもらったんです。そこからそのまま入った。
柴山:学内のサークルと、社会人として劇団をやられているのと、違うと思うんですけど、いかがでした?
秦:K2さんね、お芝居の話をするのがみんな大きらいなんですよ(笑)。いわゆる演劇論みたいなのが嫌いで、大学までってそういうのが好きな人ばかりが周りにいて、飲み会多いし、その時に熱く語る。それが一切なくて。なので一番感じた違いはそこです。飲み会でも稽古でもバカなことばーっかり話して(笑)。とにかく工藤(恵子)さんと笹本(順子)さんが主におかしなことをしてみんなでギャーギャー笑ってました。入った時は10人前後だったと思います。みんな仕事を持っているので調整をしながら。次の公演いつにする?って。

柴山:東京公演もなさっていますね。どういう経緯で東京公演をすることになったのか覚えていますか?
秦:経緯はよく覚えていないです。というか、後藤さんと小島さんとの話で決めたのかも?!どうだったかな? あとから何かのタイミングで後藤さんか小島さんに何で東京公演しようと思ったのかたずねたことがあったんですけど「行きたかったから」と答えをもらったのはなんとなく覚えてます。
柴山:東京公演でのエピソードを聞かせてください。
秦:下北沢駅前のこじんまりした、「いかにも小劇場!」という感じの小屋で、でも福岡から馴染みのスタッフさんとかもいらしてて、日常感と非日常感でふわふわしていました。何日もにわたって演劇だけできるのもうれしかった。
印象に残ってるのは下北沢駅前にスピーカーがあって、近くのパチンコ屋の宣伝がずっと流れていたことです。独特のイントネーションで「パチンコは~下北沢」って。それをことあるごとにみんな口真似してひゃ~ひゃ~笑っていました。演劇関係ない…。でもなんか下北沢といえばあの音!みたいに印象付けられてしまって、下北沢に行くたびに確認していました。20年ぐらい前に行ったときはスピーカーは残っていて音は流されていない状態で、10年程前に行った時は下北沢駅の大規模リニューアルが行われていて跡形もなくなっていました。

本作は、「イムズ芝居’95演出戯曲賞」受賞作品である。
柴山:「九電の森シアター」などで地方巡業などもなさっていますね。このまま劇団が大きくなるかもとか、芝居で食べて行けるかも、といったことはありました?
秦:九電文化の森シアターは、記憶があいまいなんですがたぶん自分がK2に入る以前からお話があったんではないかと。なのでそれきっかけで芝居で食べていけるかもと思ったということは自分に関しては全くなかったと思います。でもお芝居とお金の関係についてはいつも、今でも頭にあります。パフォーマーのパフォーマンスや演劇作品が無料で手に入って当たり前という認識に触れたときには違和感があります。
柴山:そうですね。経済的には、団費などを集めて公演していたのでしょうか。上演にかかる費用はどうやって?
秦:公演にかかる費用についてはK2はチケットノルマ制でした。あと、劇団関係の荷物の保管に部屋を借りていたのでその費用は団費というかたちで折半してました。赤字についてはあまり出ていなかったのではないかと思います。その辺は制作の小島さんの手腕で。
柴山:「劇団風三等星」さんと仲が良かったですよね。合同公演などする中で、特色の違いも見えたと思うですが。
秦:私から見ると「風三等星」さんと「K2」さんはすごく似てるなと思ってました。健全というか。
柴山:健全じゃないお芝居って?
秦:元が第三舞台とかだから、ちょっと毒があるというか、文句言いたそうだとか、それと比較した時に、明るいなぁと。


柴山:K2さんの作品は、割と20代の女性っぽい作品だと思って見ていました。劇団員で話す内容が後藤さんの書く作品に反映されることはあったんですか?
秦:劇団員との会話を後藤さんがどれくらい作品に反映させていたのかはわからないです。作品によっても時期によっても違うのかもしれないしそうでないかもしれないし。
あとK2の作品を外から見る人にとってのK2らしさについても自分にはよくわからないところもあってですね。K2らしい作品という話を振られる際に、文脈的に、たぶん話し手の方は後藤さん脚本、しかも初期の作品を思い描かれているのかなあと感じることもあるのですが、中にいた側からみると、あいだあいだで番外編やSS公演という名前でいろいろな取り組みもしていましたし、途中からは三浦としまるさん脚本の作品がメインになりましたので。
柴山:そうでしたね、三浦さんが作品提供してましたね…思い出しました。三浦さんはどういう理由で一緒にやることになったんですか。
秦:オーディションをやったんですよ。三浦さんはことりっぷ劇場をやってたんだけど、K2好きだからって受けに来てくれたんじゃなかったかな。
柴山:懐かしい! 「ことりっぷ劇場」ありましたね。
秦:ご夫婦でされていたんですよね。
柴山:番外編は後藤さんが執筆したわけじゃないんですね。
秦:そうです。何かのきっかけでみんなで作ってみようかという話になって、番外編として最初に作ったのが『A.M.A』です。作・演出名はその時参加している役者の頭文字をとって「花塵ケミカ」。その後もオリジナルの番外公演の時は参加者の頭文字から作演出名をつけていました。

最初のSS公演は青年センターでやった三浦さん脚本の『アーリー・マイ・ラブ』でした。これは後年ロングランでも上演した作品。SSはショートショートだかショートストーリーだかの略だったような…。番外編ではオリジナルだけじゃなくて既存の戯曲もやってます。永井愛さんの『カズオ』とか。
柴山:そうそう、私も今言おうとしてました。『カズオ』、面白かったですね。
秦:やってても面白かったです!舞台上で踊るシーンがあったので出演者は何か月かタップダンスを習いに行ったんですけど、それも含めて楽しかった。タップダンスのシーン、踊っていて爽快だし、お客さんのテンションも上がるのをすごく感じられるんです。あとこの頃は永井愛さんにもハマって、永井愛さんの他の戯曲もかなり読み込み、例えば『ら抜きの殺意』などジェンダーに関する作品をあんなにユーモアたっぷりに誰でも楽しめるように書けるなんて!と憧れを抱きました。

柴山:秦さんも書かれたんですか?
秦:私は番外編でめっちゃ口出していたんで(笑)。あとK2にいたころに自分の名前で作・演出のものが1本あります。『ルール・ブック』を作っているときに思い浮かんでいたイメージをもとに、『s.e』という4本オムニバス形式の作品を書きました。


オムニバス形式×笑えるものというのはそもそも自分の好きな形式で、書きたいものを書けたと当時思ったことは何となく記憶に残っています。これを作ったことは今の活動にも大きくかかわっていると思います。ただ今思い返すと、当時かかえていた身内の生き死にに関することもかなり反映されている脚本でもあったし、たぶんもう二度と書かないような要素もかなり含まれていたとも思います。演出面ではとにかく拙かったです。難しかった。
この方に出てほしい!という客演の方々にも出ていただけていたので、もっと自分の実力が高ければと悔しさは残ります。けどたぶん、いつ何やってもまあまあ悔しさは残るので。
柴山:後藤さんが途中でおやめになったんですね。秦さんもその後、おやめになっていますね。K2に在籍したのはいつからいつですか?
秦:1994か、95から…やめたのは10年くらい前かな。…意外と長い。
柴山:後藤さんがおやめになった後も皆さんは残って活動していたということですね?
秦:そうです、そうです。
柴山:三浦さんが書くことになって、そこについて作風が違うとか思われました?
秦:作風、三浦さんが合わせて書いてくれていたのか、もともと後藤さんと三浦さんが書くものに共通点があったのかは確かめてないですが、自分としてはそれまでK2でやっていたものと違和感はありませんでした。

ちなみに秦さんデザインのチラシ、ご本人もお気に入りの1枚
柴山:秦さんは他の劇団にお出になったことは?
秦:ありますあります。まどかぴあでやった、竹内銃一郎さんが演出した『月の岬』とか、劇団きららさん。風三等星との合同公演もあったし、劇団PA! ZOO!!さんにも出させていただいたし、長崎のF’s Companyと、長崎のNDR、これはリーディングだけやってる団体ですね。それからRAWWORKSにも出たな。
『月の岬』は出演者募集の案内を見て参加したいと思って申し込みました。きららさんは元々私がすごいファンで、少し交流させていただいて。F’sとNDRは大学の時のつながりなんですよ。
柴山:K2をやめた理由は?
秦:泣かせるお芝居に興味がなくなった…「めっちゃ笑った!」と言って帰ってもらいたいなと。幼少時に「演じるのが楽しい」から始まった演劇生活であることも影響しているかと思いますが、「お芝作るの楽しい」が先にあり演劇作品の持つ(社会的)役割」は後から意識したところがあると思います。意識するようになったところで、周囲に自分の考えと完全に一致する劇団なり演出家なりがいなかった…。先ほど永井愛さんの話をしましたが、憧れはしてもすべてをなげうって二兎社に入れてくださいというような状況でもなく。自分の性質的にも、誰かを妄信するタイプではないですし…。なので、どこか自分の主張したい何かと演劇活動をリンクさせることは求めなくてもいいかなと思っていたところがあったと思います。
だから何かがあって「やめよう」と思ったわけではないんですよ。やめる前にペッツ始めてますから。
柴山:ペッツを始めたのは?
秦:2011か12年。番外編の『ルールブック』をやった時に、なんだかんだで、まぁまぁ(戯曲を)書いたんですよ。あんな感じで短いのをポンポン書いて、「なんも残らんかったねー、面白かったねー」っていうのをやりたかった。自分で脚本を書いてみるかと動き始めたころは、自分の中の考えも、外の世界に対する理解の方法や許容できる幅も時間がたてば変わるということをわかっていた、それぐらいには成長していたので、だとしたら自分が将来にわたって責任持てない主張をすることには興味が持てなくなっていました。どうせやるなら単純に見る人も自分も楽しいと思えることをやりたいと。それで色々と考えて試した結果、「お客さんが軽い気持ちで来て、ただただワクワクして笑える場」を自分たちのやり方で作りたいという思いが強くなっていたんです。


柴山:笹本さん(「ペッツ」においては「しげまつじゅんこ」の名)とお二人で始めようと思ったのは?
秦:とても信頼していましたし、やりたいことも近くて大好きな演者でもあるから一緒だと最高と考えたんです。とにかくくだらないことをやりたかったんですよね。…くだらないことをやるなら、この人しかいないと。



柴山:ペッツという名前の由来は?
秦:あだ名です。彼女が「レッツ」なんですよ。私が「ペコ」です。高校生の時に演劇部に最初に顔を出した時に紙を二つ結びにしていたんですね、そこからです。ペコちゃん。
柴山:それで二人のあだ名を合体したんですね(笑)。今の活動はペッツが主なんですね。直近ではどんな作品を?
秦:(笑)。ペッツの活動が、あまり舞台じゃなくなって。最初は舞台を2本やったんですけど、その後方向性がどんどん自由になっていってます。きっかけは2014年に、マイケル・ジャクソンとフレディ・マーキュリーが1984年に一緒に録ってお蔵入りになっていた音源がようやく発売されることになった時で。せっかくの発売に合わせて二人で宣伝しようって言って(笑)。あ、笹本さんがマイケルのファンで私がフレディ・マーキュリーのファンなんです。音楽系のイベントとかよく分かんない宴会とかにマイケルとフレディの格好をして出演するみたいな活動(笑)。

柴山:そ、それは…(笑)。
秦:お互い好きすぎるから、私がマイケルやって、彼女がフレディをやって。
柴山:それがお仕事になっているわけでは…
秦:そのイベントではお金はもらってないです、どっちかというと払ってるんじゃないか(笑)。個人の人が年1やっている門司港のレトロ地区でやっている音楽系イベントがあってそれに出たら、それを見に来て面白いと言ってくれた人がご自身のお店のイベントで呼んでくれたり。親不孝通りにあったバーでもマイケル・ジャクソンのイベントでマイケルとポール・マッカートニーになったりもしました。そこで関りを持った歌手の方と今度は大橋駅前でプロレスリングの上で小芝居したりも。

そのうちちょっと飽きてきたというか…そろそろ新機軸をとささもとさんの発案で「タロウとヤヨイシリーズ」と名付けて岡本太郎風と草間彌生風人物に扮した写真をSNSにアップしたりし始めて。その扮装などでさなえさん(清水さなえさん)と中島信和さんの披露宴の余興にも出していただいたり。
そのあとささもとさん原作・私が作画担当でインスタにロマンス詐欺マンガをアップしたりしつつ、最新の活動では「クセことわざ劇場」という名前でことわざ紹介と小芝居をやる音声・動画を作成して、ポッドキャストやYouTubeで流してます。だからいわゆる「演劇!」という舞台は10年ぐらいやってないです(笑)。
柴山:異色の劇団としてやっているんですね(笑)。ということは12月にやる公演が久々のお芝居なんですね。
秦:(笑)だからめちゃくちゃ冷や冷やしてるんですよ、他の2人がちゃんとやられてるので(笑)。今回のやつも元々は峰尾さんと茶飲み友達なので映画の帰りに「ゆるいのやりたいよね」という話から。ゆるいはずがいつの間にかこうなってましたけど。結局、池田(美樹)さんに書いてもらうことに決まって。うわ、夢のよう、私はどんな徳を積んだの!?って。
柴山:でもきららさんにはお出になってるんですよね、以前?
秦:でも本公演ではなくて、『INDEX』っていう…
柴山:ああ、あれですね。…では役者としてこの人の作品に出たいとか、この演出が好きとかは、
秦:好きでいうと、ずっと気になって追ってる、公演があれば出来る限り観に行くのはきららさんとPa! Zoo!!さん。役者としてこの人の作品に出たいは、あまりこだわりがありません。どんなジャンルでも好きだなと思う戯曲は全部演じてみたくなる。
柴山:役者として興味のある役者さんは? 共演したいとか、憧れとか。
秦:Pa! Zoo!!のぎゃおさんのお芝居が大好きで役者さんとして素敵だなと思ってるのと、長崎のF’s Companyの篠崎雅さんのお芝居はすっごい好きで。一回、リーディングではご一緒させていただいたことがあります。
柴山:お芝居はよくご覧になられるんですか?
秦:最近は1~2か月に1本くらいしか観ていないのであまり観ないほうかもです。10年前から5年程、福岡を離れていたこともあって。ちょうどコロナの頃に福岡に帰ってきて…だから最近の状況もよく分からないです。
柴山:では、今後のペッツについて聞かせてください。
秦:そうですね…、自分の目指すところは明確だし、制作の過程もどんなに大変でも楽しいし、満足度高い表現活動にたどりついていると感じています。ペッツの合言葉が「くだらないことを丁寧に。」なんです。だからこれからもそれを。ペッツ