2025年3月15日(土)17:00 @ルサルカ千早駅店
対象作品『おかえりなさせませんなさい』コトリ会議(作:山本正典、演出:コトリ会議、出演:大石丈太郎、川端真奈、三ヶ日晩、花屋敷鴨、原竹志、山本正典、吉田凪詐)
*2016年から福岡、小倉、久留米などにおいて不定期に「シアターカフェ」を開催してきた。シアターカフェとは、観劇した後に有志の観客(10名程度)でお茶を飲みながら、見たばかりの作品について語るというものだ。作品の役者・劇作家・演出家が参加してくれることも多く、毎回かなりの盛り上がりを見せる。
*キビるフェス2025の最後の演劇作品が本作。第3回関西えんげき大賞 コトリ会議がダブル受賞、そして第69回岸田國士戯曲賞最終候補にも残っていた作品である。ひっさしぶりの福岡公演、楽しみに待っていた観客も多いだろう。…が、 17時の公演の後の夜のキビるカフェとあって、参加者は私を含めて4名(とキビるフェス事務局の方)。対して参加してくれた「コトリ会議」の皆さんは(最終的には)5名。コトリ会議の皆さん、なんだか申し訳ありません…。ただ人数が少なくても却ってあれこれ言えて、そしてコトリ会議の皆さんも自由に発言してくださって、なかなか面白いカフェになったのでした。

●ちょっとだけ裏話
まず参加者の自己紹介。鳥取からわざわざ観劇に来たTちゃん&Yさん。Tちゃんは芝居の照明担当者で、同作品を伊丹で観ている。Yさんも鳥取でお芝居をやっているらしい。そして観劇好きの絵描きKさん、事務局のH子ちゃん、私。それぞれの自己紹介を終えた段階でやって来たのは、「ジョーさん」こと大石丈太郎さん(お父さん役)と「原さん」こと原竹志さん(ヒューマンつばめ化窓口担当の白石さん役)。最初は裏話などを聞かせてもらう…。少しだけここでご紹介。
コトリ会議は年齢差のある劇団で、ジョーさんと愛実役の川端真奈さんとは20歳も違う「同期」だとか。また、昨年の12月に伊丹で上演していたので再演の今回はたった4日の稽古で本番を迎えたというから驚く。「ヒューマンつばめのコスチュームが観客には面白いけれど、実は大変では?」と訊くと、「くちばしがしゃべりにくくて仕方がない!」「(取り外しのできる)耳は一番強い磁石なんですよ!」だそうです(笑)。
なお、そんな話の後に、三ヶ日晩さん(長女・五十飛代役)と制作の若旦那家康さんと作家の山本正典さんが来てくださいました。ではここからは、カフェの内容へ。

●近親相姦的な描写について
兄妹間での「好きだった」だのヤキモチだの、近親相姦的なにおいがする本作。そのエピソードは必要なのかという疑問が出た。「演じながら確かに必要かな?と思っていた」という役者さんもいたが、これは動物と人間の対比ではないかという意見も出る。動物なら許されて、人間はそこをモラルで禁ずる…その対比のために必要ではないかという。あるいは、これは家族のシステムの話と考えると、そのいびつさの象徴ではないかという声も出た。その表れの一つとして、たとえば普通に家族の帰宅を迎える言葉は「おかえりなさい」だが、タイトルの「おかえりなさせさませんなさい」はいびつさを捉えることができるだろうという見方である。
●人間とは
異類婚姻譚は民俗学にも一つのテーマとしてあるが(アフタートークで登壇した須川先生からもその話題が出て来た)、ヒューマンつばめについてはその観点よりも、昔からあるSFやまんが・ドラマなどのサイボーグ人間的なものを彷彿とさせた。「人間とは何か」を考えさせる作品であるという意見。(ヒューマンつばめになると、子は成せない。人間の頃の記憶は3割程度になる)どこまでが「人間」なのか、人間でいたいのか…? そしてヒューマンつばめはその後、いろんなものと合体して、最後は石になるという話…かつて人間だった、石…? なぜ、石なんだろうねと言う参加者たち。ちなみに柴山は小さいころ、意思のある石になって転がりながら人間の長い歴史を見る存在になりたいと思っていた。そんな話を思い出し、変わりゆく地球上の生き物を「見届ける」のが石なのかもしれないという話にすると、「そういえばお墓も、石だ!」という驚きの声も上がった。
さて、生き物としての幸福とは何かという意見も出る。「子どもを成せない=子どもを産まなくてもいい」ということが、「種」としての出産適齢期である女性には、悩みから切り離されるという点である種のうらやましさも感じてしまう…と。理解できるとうなずく女性。種(生き物)としての幸福、個人の幸福、その両立は可能かという論点が頭によぎる(深めて話せなかったのが残念)。ヒューマンつばめの存在はどこに注目するかによって、色々な問題を論じることが出来そうである。
●家族
なぜ末っ子のツグミがヒューマンつばめになったのか。その問いは人間について深く考えさせると同時に、家族について考えさせるものでもある。戦争の中で、私を一人残さないで…ということではないかと誰かが言う。記憶の中の家族、時と共に変わりゆく家族、記憶がなくなったら家族ではないのか。ツグミの選択は保身? 「家族」を守るため? 家族を考えるフックがたくさんある芝居だった、と見ながら涙が止まらなかったという参加者が言った。
●伊丹公演とのテクニカル面での違い
千早でやった今回は照明がLEDになっていたとか、天井高、設備の幕の数、平台の数など、伊丹公演との違いに気がついた参加者。今回は舞台と観客席との距離が近く、そのせいか客席後ろから舞台まで伸びているリボン(そこをつばめの人形がつたって降りてくるのだが)が伊丹公演と比べて見にくかったという指摘も。役者の顔に直接当てない照明の話など、さすがの注目点に他の参加者たちは「ほぉ~!」と感心する。
ちなみに、ヒューマンつばめ化キャンペーンや、人口の半分がヒューマンつばめ化したといった逸話などは伊丹公演ではカットしていたらしい。その逸話にいたたまれなくなった…という感想を聞き、「(カットしたものを復活させて)良かったですね」と役者さんに言われている作家の山本氏であった。
●感想
今までシアターカフェに参加してくださる劇団側の方々は、参加者の話をじーっと聞いて発言しないか、単純に「質疑応答!」みたいになってしまうこともあったんだけれど、今回はそのどちらでもなかった。コトリ会議のみなさんは作品に対する自分の意見、解釈を積極的に(一参加者のように)話してくれたのだ。本作が、シュールでいろんな捉え方ができる作品だからかもしれない。めちゃめちゃ面白かったです。もう少し話したいと思いながら(それでも2時間近くは話していた!)お開きに。楽しいカフェでした。ご参加、ありがとうございました。

最後までお付き合い管逢った原さん、山本さん、参加者の皆さん、ありがとうございました。