Multilingual Theater Fukuoka
*韓国の演出家による作品を、日本の役者たち(健聴者と聴覚障がいを持つ者)によって演じるという試みを見た。Multilingual Theater Fukuokaという発足したばかりの団体(主宰・中嶋さと)による公演である。演目は『アンネ・フランク』、3日間のワークショップを経て作り上げたとのことだ。この団体および本試みについて、代表の中嶋さとさんにお話を伺った。その前にこの演目を見た感想を述べてから、インタビューをお読みいただこう。
<Multilingual Theatre Fukuoka>への興味
*7月某日、14+の中嶋さと氏から以下のようなメールを受け取った。
Multilingual Theater Fukuokaという協同体を作りました。福岡ろう劇団博多との協働体です。新たなコミュニケーション法と芸術的表現の模索を目的としたものです。それで、私が10年ほど前から続けている韓国釜山との交流を繋ぎあわせ、日本語、手話、韓国語を使うメンバーで、演劇を創ります。私は演出的な部分にも関わりますが、基本的にはプロデューサーです。韓国から演出家と振付家をよびます。
8月に3日間ワークショップを行い、最終日には成果発表として15分ほどの作品を上演、その後お客様を交えての意見交換会を予定しています。
興味深い。というのも、私はここ2年ほど、「劇団14+(fourteen plus)」が「福岡ろう劇団博多」や「TA-net(特定非営利活動法人シアター・アクセシビリティ・ネットワーク)」などと作品を作る活動を見てきており、その活動の意義だけでなく作品そのものの面白さと可能性に惹かれていたからだ。
★『注文の多い料理店』2024年2月25日
4月, 2024 – 劇ナビFUKUOKA (gekinavi.jp)
★『変身』2024年1月20日
1月, 2024 – 劇ナビFUKUOKA (gekinavi.jp)
今回は新たに韓国語が加わるという。チーム名に「Multilingual(多言語)」という語が用いられているように、手話を他言語と同等の「一つの言語」と見なしていることにも好感を持った(手話は通訳のための手段だと見なされがちな気がしている)。不勉強な私は知らなかったのだが、手指動作だけでなく非手指動作、例えば視線、眉、頬、口、舌、首の傾き・振りなどによって表現され、「ジェスチャーとして真似れば伝わる」わけではないという。また日本語一語一語に対応した型の手話もあるようだが、もう一種、日本手話と呼ばれる手話の形態は非手指動作に文法的意味が含まれるらしく、なるほど確かに「一つの言語」と見なすべきだろう。
さらにこれまでの公演を見て気が付いたのだが、「舞台手話通訳」という存在は通常の手話通訳とは一線を画し、作品作りに大きく貢献する。通訳と役者を兼ねる中で、役や作品の世界観をかみ砕いて難聴の役者と観客に伝えていく存在である。そのため、ある意味では演出の要の部分を体現する存在にもなる。まさにこの点が舞台の可能性を広げる面白さの一つになっている。
ではそこにもう一つの言語(韓国語)が加わるとどうなるのか。ワクワクしながら南市民センターに赴いた。
公演の感想
公演は15分程度の短いもので、サイレンの音や音楽はあったがセリフはない。アンネたちユダヤ人が追い詰められ、空襲に怖れ、他方で戦争のさなかの「傷つかない側」が持つ優雅な時間、そして終戦へ、という様子を10名強の役者が演じた。わずか3日のWSで作られたにしてはよくできていたが、2つほどの不満を抱いた。
*「多種の言語による協働」を謳っての試みのはずだが、その様子が全く見えない。韓国の演出家の指示に「合わせ」て一つの作品を作り上げることだけが目的化されていたのではないか。特に音きっかけの動き(二重の円になってのワルツのシーンや、空襲警報のシーン)を入れる理由は? 今回は、公演作品ではなくワークショップの時に3つの言語が飛び交っただけで十分という事なのだろうか。
*十把一絡げの描き方であるということに不満を持った。劇中で「逃げ惑う市民(住民)」というまとめた(ある意味雑な)演技をしていた。だがこうしてろう者と一緒にやっているからこそ、住民の中には耳が聴こえない人、目が見えない人、肢体不自由な人、高齢者も妊婦…などがいたはずだという気づきがあって良いはず。当時のドイツで圧倒的に弱者だったユダヤ人の中に、さらに身体的弱者がいただろうことまで思いを馳せることもあってよさそうなものだが…。
インタビュー
柴山:Multilingual Theater Fukuokaはどういうきっかけで作られたんですか。
中嶋:去年、釜山チームから『アンネ・フランク』をやるから見に来てくれと急に声がかかって。これを一緒に作らないかと言われたんですね。もともと聴覚障がいの方と一緒に作るという企画ではなく、私と韓国、日本の俳優と作りたいという事だったんです。最近私がこういう事をやっているから提案したんですね。同時に「福岡ろう劇団博多」と話すとぜひやりたいと。それでこれを機に協働体を作ることにしたんです。その方が動きやすいことがあるんですね。例えば申請する時に団体という器があった方がお金がもらいやすいですし。
柴山:先日『アンネ・フランク』を拝見して、これは元々聴覚障がいの方と作った作品ではないだろうなと感じました。もちろん聴覚障がいの俳優とのワークショップを経ていますから大元とは異なるのでしょうが、あの韓国の演出家の方は聴覚障がいのある俳優と作品を作ったことが無いのではないかと思いました。
中嶋:始まる1,2カ月前に向こうの演出家が来て音楽を使いますかと訊くと「使いたい」と。使っていいけれど聞こえる/聞こえない俳優がいるから何か演出的なアイデアが欲しいと伝えました。男性が振付家だったんですが彼は障がいのある方と何回も一緒に作られたことがあるんだそうです。だから私も学ぼうというつもりだったんです。初日は女性の演出家がやって、二日目にその振付家が来たんですけどけっこう音楽に合わせさせたんです。私は口出ししないようにと思っていたんですが、さすがに「聞こえないからきっかけは別の方法で知らせてほしい」、また「音楽による高揚感はどうやって伝えるの」と聞いたら「いや大丈夫、できるから」と言われて。ただ若いろうの俳優は「合わせてる」感が強かったんです。サイレンが鳴るシーンで、最初は電気をカチカチしようとしていたのに途中からやらないことになったんですね。しかも次にはナレーションまで考えていたらしいんです。「これ(セリフ)日本語に直して、役者に覚えさせて」と言われて、でもそれを日本語で説明しちゃうと何のためのマルチリンガルか分からなくなる。字幕と手話を使うことも考えたけれど手話は(今回、役者もしている)野上さんしかいない、それは難しい。なんだか違う作業ではないかと思ってそれらは要らないと伝えました。
彼は聴覚障がいの人とやったことはあるんです。音楽をきっかけにする場合は聞こえる人が手を振って合図をします、聞こえない人はそれきっかけで動く…と。そういうやり方でやって来たんだと思います。
柴山:そうするとワンテンポ遅れることになりますね。それが悪いとは言いませんが、「合わせよう、合わせよう」とすることが良い演技に繋がるとは思えません。終演後に俳優たちが「合わせる」「入っていく」という言葉を口にしていて、一緒にやってないという感じがしたんですよね。
中嶋:そうそう。それは反省会でも出ました。今回は聞こえる人に合わせた公演になった気がする。私は主催者側の反省として、成果発表会を設定したせいでそこに向けてやらなきゃならないという事になったのかなと。もちろん発表会があったからこそ見えてきたことがありますけど。それともっとお互いを知る時間を多くするべきでした。
柴山:今まで中嶋さんがやって来た活動を2年程見てきました。例えばBGMはタイトルをつけて、それもその雰囲気を凝縮した説明のタイトルを字幕で見せていました。またセリフを野上さん達が手話通訳するにしてもそのままではないですよね。それが舞台手話通訳であり、通常の手話通訳と違う、それがとても面白い点だと思っています。つまり演出家は通常の演出以外に、舞台手話用の演出をすることにもなる。それが新しい可能性を開くことになると興味を持ちました。ところが今回は韓国・日本という2つの他言語だけで作られた作品でしかなく、ろう者の俳優とともにやった意味がなかった気がしました。
中嶋:私もたかだか2,3年しかやっていませんが、おっしゃったようなことを私も韓国の演出家に伝えました。刺激にはなったと言っていましたが。
柴山:それから逃げ惑う群衆のシーンで、街にはいろんな人がいるはずなのに身体的弱者が1人もいないように見えました。そんな演出があっても良かったのではないかと思いました。質問すると演出家の方は演出したつもりだったと言われましたが私にはそうは見えませんでした。ろう者との作品作りに慣れていなかったにしても、ろう者と一緒にやっているからこそ舞台上にその存在が出せたのではないかと。例えばサイレンが聴こえないなんて、聴者より恐怖じゃないかと思うんですよね。
中嶋:ああ、そうですね。たぶん作品をとにかく作らなきゃという感じになっていたんだろうなと。お客さんもそこを期待していたわけではないだろうと。過程を知りたい人ばかりで。後から感想も寄せられたんですが、聞こえない人から「あの場でなぜダンスシーンがあったのか理解できない」と。聞こえる側としては「戦時下でもあんなちょっとした楽しい時間に幸せを感じられた」という理解をするんですが、聞こえない側にとってダンスに高揚感を感じないという人も多いようだ。だからこれは文化の違いなのだろうなと。これは直接話さないと分からないなと。
柴山:じゃぁ、ろう者はなんだったら高揚感を覚えるんだろう?
中嶋:そこを会話で知っていくしかないですよね。どういう思いで踊ってたのかなと…思いましたよね。
柴山:例えば、あそこで『リリー・マルレーン』が掛かっていましたよね。あの曲は当時のドイツで大流行した歌謡曲で、それを使用する意味がある。でも使用する意味を説明されてない(中嶋:うなずく)、歌詞の意味をきいてわからないなら…置いてけぼりだったんじゃないかと思ったんです。
中嶋:今回はたまたま劇団の人たちだったからそれらしく演技はしたけど、まったく劇団ではない聴覚障がい者だったら破綻したと思います。
柴山:単純な疑問を一ついいですか。公演の後に(出演者で「福岡ろう劇団博多」の代表である)鈴木さんが、本を読むのも大変なんだってことをおっしゃいましたよね。聴覚に障がいがあるなら文字情報に頼るのかと思っていたので、どういうことかわからなくて。
中嶋:たぶん、彼らにとっては手話が第一言語で、日本語は第二言語。だから日本文を読むという事は、私からすると英文を読むというような感覚…と聴覚障がいの方に聞いたことがあります。文法も全然違うから…字幕を付ける時も、文字があんまり多いと意味をつかみにくいそうです。
柴山:ああ、構造が違うってことなんですね。だとしたら、思っている以上に、手話は違う言語ってことなんですね。だから「漫画ならまだ読めるけど」とおっしゃっていたんですね。
中嶋:今、手話講座を受けているんですけど、「それとそれ、同じ単語を使うの?」ということもあります。表情やスピード、文脈によって意味が変わるそうです。
柴山:だから舞台上でも単語を置き換えるのではなく、舞台手話通訳という演出が必要というわけなんですね、あぁ、ようやくわかった。
中嶋:不思議なのは、手や表情などの細かなニュアンスです。読みとるにはまだまだ勉強が必要ですね。
柴山:以前、TA-netの廣川さんにメールで権利のことについて聞いたことがあります。脚本だったら書いた人の著作権が生じますけど、舞台手話通訳にも権利は生じるんですかと。すると「例えば歌に関しては最初に作った人が権利を持つスキームを作ったが、演劇に関しては特に定まっていない。将来的には保護されるべきべきかもしれない。重要な観点ですね」というお返事がきました。舞台手話通訳の場合は、完全に意味を解釈して多彩な表現の中から手話表現を選択して表現していくわけですからね。
中嶋:監修によって全然違いますよね。レオ君(前出の鈴木さん)とTA-netの監修ではずいぶん違ったんです。それから思わぬところで説明を求められたりします。例えば音楽に流れるチッチッチという音(ドラム?)にはどういう演出意図があるんですかとか(笑)。そういうこと考えてやったことがない!とか。
柴山:演出家もかなり言語化が求められますね。
中嶋:そうそう。音や音楽もだし、暗転もよく使うじゃないですか、でも暗転はろう者にとって恐怖らしくって、だから最初の『注文の多い料理店』で普通に暗転を使っていたら「すみません、ここ暗転になるんですか…」って言われて。
柴山:それは役者と観客のろう者では感じ方は違うんでしょうか。
中嶋:最終的に監修に任せますね。『変身』の時のぴかっと光るシーンも細かな手が入りました。情報として強すぎるので弱くしてほしいと言われました。
柴山:恐怖を感じるのかもしれませんね。
中嶋:だから結構、調整が入りました。強さ、タイミング。何回か「キャッ!」って叫んでましたから、多分こわかったんでしょうね。
柴山:文脈が無いからいきなりと感じるってことなんですね。
中嶋:難しいなと思うのは、聴覚障がい者に向けたことばかり乗せすぎるのも違うと思うので、その間をどうとっていくかと。かといって無難なところをとるのは面白くなくなっていくし。
柴山:「さいとぴあ」でやった時には、芝居が始まる前、観客が客席につくときからすでに舞台上のスクリーンでイメージ映像が流れていましたよね。森の中のイメージをしているんだなと思いましたが、普通の芝居だったらあれは要らないですよね。だからそういうものをする意図もあるんだろうなと思ってみてました。
中嶋:それも試行錯誤です。この間は映像を出しましたが、なんで映像を出したのかな…あ、その前の『変身』の時の反省点かな…その時にも映像を出していて、人が歩く音が流れている街の中にいる、それを視覚化させるということで抽象的な映像を出していたんですよ。それだとろう者にとって分かりにくかった、どういう意図があったのか、という声が上がって、それで具体的にしてみたんです。ただあれが正解とも思ってなくて、例えば文字で出すのもアリだと思うんですね。
柴山:ろう者と捉え方がちがうんでしょうね。具体的にやりすぎると面白くない点から、その間を考えていくってことですか。
中嶋:そうです。森の音、だと聞こえる人だとイメージできますけど、「森の音って何?」と。「鳥がチュンチュン」ならわかると言うんですけどそれはあまりにもで…。 ただ(TA-netの)廣川さん曰く、そういうわかりやすい物ばかりではなくもう少し抽象的な表現もある作品も増えてほしいと。
柴山:だとしたら、ろう者の方々も見ることに慣れないといけないということですね。
中嶋:そうそう。だから『注文の…』のお客さんの感想であったのは、聞こえない自分には無縁の世界で行っても楽しめないことがほとんどだったから、まず「行く」という選択がない。そこをクリアするのはやっぱり何年もかかる。
柴山:『注文の…』2作と『変身』は「完成」「終わり」ではなく、どんどんバージョンアップというか更新させようとなさっていますよね。そのことが何よりも素晴らしいなと思っています。聞こえる人の満足と、聞こえない人の満足は違うかもしれないから、そこを探るのは難しいですね。
中嶋:『変身』の時もTA-netが文化庁に申請している助成金の中からうちが支援してもらったんです。その前の年も同じです。ろう者がどうやったら観客として来てくれるのか…うちは「ろう劇団博多」の人たちとやっているから、(観客にろう者が)来てくれているというのがあると思います。
柴山:外に出て見に行こうとすることに慣れていない、見ても分からないと思って見ない…ってことでしょうか。
中嶋:上の世代は虐げられている歴史があるからその影響もあるかもしれない。
柴山:ああ。…中嶋さんは、元々どうして「福岡ろう劇団博多」と一緒にやろうとしたんですか。
中嶋:もともとは、野上さんがうちの劇団のお客さんとして来てくれていたんです。突然、舞台手話通訳の野上ですって連絡があって。でお話を聞いてみたら自分でやれることがあったらやってみたいと思って。やったら面白くて。長年やっていると壁にぶつかりますよね、それが(ろう劇団博多と一緒にやって)抜けたという感じ。
柴山:普段やられている、作られている物とは全然違いますよね。ろう劇団博多との共作が役に立ったなという事はありますか。
中嶋:あります。自然と、この音楽必要かなと考えるとか。気づきがありました。私も国際交流を初めて10年以上になりますけど、まさかこういう形で繋がるとは思っていなかったし。だから例えば今、雇われ演出家としてミュージカルを作ってますけど、ろう劇団博多も以前ミュージカルを作ったことがあるので、そこを繋げるプロデュースも面白いのかなとか。従来のミュージカルの作り方に寄せるのではなく、20分とか短い作品でいいので、「聞こえるミュージカルをやりたい人」と「聞こえないミュージカルをやりたい人」と新しいミュージカルを作ることにトライするのもやってみたら面白いんじゃないかなと。
レオ君が言ってましたけど、昔、ミュージカルを見にいくにあたって事前に台本を貸してくれと頼んだけれど貸してくれなかったそうです。実はミュージカルを見たいろう者も多いそうなんです。ろう劇団博多のミュージカルは独特な作り方なんです。
柴山:ちょっと想像がつきません。
中嶋:歌は歌いますけど、聞こえる人が歌って、聞こえない人は手話で。日本語の歌詞と手話の歌詞と、どっちが先かは分からないですけど、そのすり合わせをかなりちゃんとやってると思います。ちょっとしたダンスもあって。手話をやってやってやって一人がぴょーんと飛んだらこのステップを踏む、みたいな。彼らが気持ちよく踊れたのはきっと、歌詞を手話にする段階をきちんとやっていたから気持ちを載せることができたのかなと。
柴山:ひょっとすると聴者のミュージカルからすると「ずれ」に見えることもあるかもしれませんね。でもそれそれは聞こえる世界と聞こえない世界の二つを一緒に見ていると考えることもできますね。私たち聞こえる人は聞こえる世界に慣れきっているから、「ずれ」を「おかしい」と見るけれど、聴者のミュージカルではそれが徹底されているからなんですけど、そうでなくてもいいわけですよね。。
中嶋:もしかするとそれももう少し深めていくと新しい何かの形ができるかもしれない。そこに興味があります。
柴山:そうですね。拝見していて面白いと思うのが、聞こえる/聞こえないの領域をすり合わせていく(工夫していく)中で新しい可能性が開けていく所です。
中嶋:ただお互いに譲歩し合って終わりではなくて。
柴山:うんうん。そうなんですね、ミュージカルをやりたいと思っている人、見たいと思っている人が、ろうの方にもいるということなんですね。これは重要なことだ。
中嶋:レオ君から「本当はもっと見たいんです」と言われて…だから今回、「Multilingual Theater Fukuoka」で地元の小劇場や韓国のアーティストと繋がったことはたぶん嬉しかったと思いますよ。
柴山:作品選びも考えていかなきゃいけないんでしょうね。その点では、(ろう者の役者と一緒になる上で)『注文の多い料理店』と『変身』は素晴らしいチョイスだったと思います。
中嶋:『変身』は結構、考えました。私、危ういと思った事がたくさんあって。野上さんが手話をやる人、手話をやりながら言葉を発さないグレゴール、吉田君が虫の形をしたグレゴール。見ようによっては虫になるということが、障がいに見えるんじゃないかと。
柴山:ああ。でも私は全くそうは思いませんでした。完全に役を割り振っていたわけではないですよね。全体で虫になることもあったし。それと舞台手話通訳をする人というのは、他の作品でもそうですが、「部分でもあり全体でもある」わけですよね、そういう位置づけの人がいると、役と役者が1つずつ対応するような見方は自然にしなくなります。作り方にもよりますけど。
中嶋:『変身』を再演する時は、野上さんの役をろう者がやってもいいかなと思っています。それと、ろう者はろう者が表現する手話が一番理解できるっていうのはありますよね。
柴山:違うんですね。
中嶋:だから舞台手話通訳者は俳優と同じような技量を求められますね。
柴山:面白いですね。
中嶋:やりがいがありますね。
柴山:あとは、ろう者の方が舞台を見にいく、そこをどうやっていくか、ですね。
中嶋:いい作品を丁寧に作っていくことですかね。…おかげさまでろうの方と接する機会ができていろんな話を聞けます。塩原の練習場は振動がなかったんですね。私たちは足音がしないような所を選びたいんですけど、「伝わりづらい」と言われて、ああそうかと。視野も広いじゃないですか。
柴山:光に敏感になるのも同じですね。
中嶋:ろう者ってここら辺(顔の後ろ横あたりを指して)で手話をやっても分かるらしいんです。
柴山:え~! 視野に少しでも入っていたらわかるってことなんですか。じゃぁ…ろう者だけが観客という公演はやったことないですよね、その場合はどうなるんだろう⁉ 観客からの反応がきっと違いますよね。一度それやってみません?
中嶋:それやってみたいです。
柴山:そうしたら逆に、聞こえる役者さんが気づくこといっぱい出てきますね。今までの反応と違うだろうし、暖簾に腕押しのようなこともあるだろうし。アウェイな状態でやるということを感じることができる。
中嶋:意外なところで反応があるかもしれないし。やってみたいですね。
柴山:では今後の活動をお聞かせください。
中嶋:9月末に釜山に行くのでその時に向こうの演出家と今後をどうするか決めてこようと思っています。今回の事をふまえてお互いを知るワークショップを提案したいなと思っていて。従来の『アンネ・フランク』の要素もあっていいけれど、新しい『アンネ・フランク』を作る形でもいいという話もしてこようかと思ってます。
柴山:今後の活動も注目していきたいと思います。ありがとうございました。
(2024年8月21日)