『TRY48』(中森明夫)

本の紹介(2)

『TRY 48』 中森明夫 2023年 新潮社

 はるか昔の話だが、私が大学に進学する時に父に言われた。「演劇はするな。男女関係が乱れる」。娘可愛さのトンデモ発言だと目をつぶってほしいが(自分も大学時代に演劇していたじゃないかと当時の私は心の中でツッコミを入れた)、当時ですら父の時代と私の時代では演劇のイメージがずいぶんと違っていたと思う。そりゃそうだ、私はリアルタイムに寺山修司を体験した世代ではないのだから。

 この本は、寺山修司が(実は生きていて)85歳になった今、アイドルグループをプロデュースすることになった、という物語である。作るのは「TRY48」(TeRaYamaというわけだ)。アイドルを目指す平凡な17歳の女子高生・百合子は、寺山修司なんて知りもしないがTRY48のオーディションに飛びつく。学校のサブカル部の「サブコ」に指南され、オーディションに受かり(サブコも黒子として合格)そこから怒涛の、そして予想外の「アイドル生活」が始まる…。

 だが、寺山修司が「今、この時代に」本当にアイドルをプロデュースしていたらどうなるのか、という目で読むのは間違いだろう。何故ならこれはあくまでも70年代の寺山の「ハプニング」や「変革」を現代で再現しただけなのだから。その意味で本書は、「寺山の軌跡の紹介」であり、時代におけるその意義を解説する「寺山修司論」である(やたらと詳しいサブコが饒舌に解説してくれるので堅苦しくはない)。読めば読むほど、寺山の演劇と(あるいは寺山の時代の演劇)と今の演劇とでは隔世の感がある。あの時代に意味を持ったハプニングも変革も、現代では意味をなさないだろうと痛感するのだ。現代では、無化され消費されるだけの「一刻だけの異化効果」にしかならないのだと。寺山は時代の産物だった、のだろうか。

 彼が女の子たちのアイドルグループを作ろうとしたという設定も、意味がある。女の子アイドルがここ数十年で最も大きく変わったものだからだろう(もちろん作者の中森明夫がアイドル評論家というのも第一の理由だろうが)。女の子アイドルが「手の届かない存在」から「普通の、どこにでもいる子」に変わり、女の子たちは完全に消費される対象となっている。

 こうした、消費し尽くす現代に回収される寺山と、すでにしっかりと消費のサイクルに埋め込まれている女の子アイドルの掛け算…がどこに行きつくのかは、本書を読むしかない。終盤に登場する、女の子たちの転覆劇に多少は胸がすくが、それすらも現代は貪欲に飲みこんでしまうだろう。その意味で、本書は現代社会論でもある。

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